アナログ中古盤の入手が難しくなる一方だっただけに、聴き手にとってうれしい以外の何物でもないリイシューということになるだろう。ソロ・アルバム第一作に当たる1976年の『CIRCUS TOWN』から、名実ともにアーティストとしての最初のピークを刻んだ82年の『FOR YOU』まで。78年発表のライヴ2枚組『IT’S A POPPIN’ TIME』を含むオリジナル・アルバム7作に、本人監修による公認ベスト『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』を加えた山下達郎の初期8作が、レコードとカセットのダブル・フォーマットで復刻発売されつつある。いわゆる“シティ・ポップ”ブームに後押しされてのリイシュー。そんな卑近な解釈も成り立たないではないが、その一方で驚かされるのは各々のアルバムのクオリティの高さと密度。6年という短いスパンの中で積み重ねた音楽的な試行錯誤、そのダイナミズムであったりもする。ともすれば“ブーム”に覆い隠されがちな表現者としての本質を見逃してしまうのは、あまりにもったいない。達郎自身の言葉で語ってもらった。
■(今回の復刻は)神様の引き合わせというくらいの感じではある
アナログ盤復刻ということに関して言えば、ようやく音質的に納得がいくものが出せるようになってきたという背景があるんです。タイミングとしてはゼロ年代からアナログ復刻は始まっていて、僕も2010年くらいから興味のあるものは軒並み買って聴いてきたんだけど、60年代から80年代にオリジナルが出たもので、質的に拮抗する復刻盤って1枚もなかった。マスター・テープの劣化等々、色々な原因があるのだけれど、アナログ・カッティングって、文字通りアナログ、手作業なんですよね。まずラッカー盤と呼ばれる円盤に溝を切って、それにメッキを施すなどいくつかの行程を経た後、プレス作業に回すんだけど、当のカッターヘッドの主流が1974年製。ノイマンのSX74というやつで、今でもそれが使用されている。
──文字通り、職人芸なんですね。
そうです、そうです。焼き物の薪はどの木を使うのがいいとか、そういうのと同じ。そんな経緯もあって(アナログ復刻には)あまり期待してなかったんだけど、今回出す中でも『FOR YOU』と『RIDE ON TIME』について言えば、かなりオリジナル盤に近づいてきた。アナログ・カッティングに即した新しいデジタル・リマスターを音源に使っていることもあって、音の抜けという意味ではオリジナルのLPよりいい部分もあるんです。ようやくそこまで来たという思いが、今回のリイシューに関してはあります。
──そういう意味で、達郎さんご自身納得されている復刻ではあると。
まあ、神様の引き合わせというくらいの感じではあるんですけど。
──達郎さんはあまりお好きではない言い方かもしれませんが、シティ・ポップ・ブームが牽引した、若い聴き手も多いわけですよね。中古アナログの価格が高騰していたり。
それこそカセット・テープを見たことがなかった人が、カセットを聴いてすごいと言っている(笑)。僕にはよくわからないけど。
──カセットはすごいんでしょうか。
いやあ……(笑)。ただ、おもしろいもので、磁気テープって色々な意味で人間の聴覚と相性がいいんです。可聴帯域といって、人間の聴覚だと10ヘルツ以下、20キロヘルツ以上の音は捉えられない。それを根拠に、CDの上限を44.1キロヘルツ(収録可能域約22キロヘルツ)に定めた経緯があって。その後、デジタル録音は48キロヘルツ(収録可能域24キロヘルツ)から96キロヘルツ(同48)を経て、よりハイレゾの192(同96)キロヘルツにまでなってきた。超音波というか、人間には聴き取れない、犬笛の世界(笑)。一方で余分な音も入ってくるので、それとどう戦うかはデジタルの課題でもあった。
アナログの場合は、デジタル録音に較べて性能に限界があったことが、むしろ逆に人間の聴覚にとって、より自然だと言われています。聞きやすいという感想はそんなとこから来るのでしょう。レコードの場合はスクラッチ・ノイズといって、溝をトレースする時のプチプチが避けられないなどといった、デジタルとは違った問題があるけど、歴史的にも非常に長い時間をかけて試行錯誤されてきたメディアなので。
──メディアとして安定しているということですね。
もうひとつ加えるなら、1970年代終わりから80年代初頭にかけては、磁気テープやテレコの性能が飛躍的に上がってきた時代でもあった。アメリカでは3~4年先行してましたけど。僕のアルバムにしても、78年の『GO AHEAD!』までは16トラックだったのが、翌年の『MOONGLOW』から24トラック。『FOR YOU』ではさらにテレコを2台同期できるようになったので、コーラスも入れ放題になったという。一人多重コーラスはそれ抜きには語れません。2年前に出した『IT’S A POPPIN’ TIME』の時点ではまだ16トラックだったので、いったん16トラックでリズム・トラックをミックス・ダウンして、空いた14トラックにコーラスを多重でダビングしていたのにね。
プロツールスの時代になった今は、100チャンネルだろうが200チャンネルだろうが使いたい放題。だけど、リミットがあることにはいい面もある(笑)。これ以上はできないという区切りというか“按配”が、おのずと生まれるので。
──今回8枚を通して聴いてあらためて感銘を受けたのは、これだけ密度の濃い作品群が、ごく短い期間で生まれていたということなんです。
すごく短いですよね。たった6年。でも、あの時代は誰でも同じくらいのスケジュールでやってましたよ。
──ソロ・デビュー作の『CIRCUS TOWN』と82年の『FOR YOU』って、別世界じゃないですか、言うならば。
そうですね。
──そこが非常に興味深くて。
昔のものって、みんなそうですよ。それこそビートルズやローリング・ストーンズを例に挙げるまでもなく、3~4年で劇的に変わっていった。『CIRCUS TOWN』のほんの少し前までは、日本ではまだ4チャンネルかせいぜい8チャンネルが多数使われていて、16チャンネルでレコーディングすること自体、けっこう贅沢だったんです。それが79年の『MOONGLOW』になると24チャンネル。最初期に24チャンを導入した(東京の)サウンド・シティというスタジオでの録音だった。たった3年で、レコーディング環境も大きく進化したんです。それだけアナログ・レコーディングの時代というのは、変化が早かったし、それと併走する格好でビートルズもあそこまで変化していった。ビーチ・ボーイズもそうですよね。結果、今もって鑑賞に耐えうる作品がたくさん残っている。
今はまったく逆。変わらずにどれだけ拡げていくか、そういう時代じゃないですか。時間の流れが非常にスローになっている。自分のこの間の新譜(『SOFTLY』)だって11年ぶりだったし(笑)、新人でさえ3~4年ぶりでも誰も驚かないけど、かつては半年に1枚のペースでアルバムを出していた人も普通にいた。アイドルなんて4ヶ月に1枚。歴史のテンポが今とは全然違うんです。まあ、昔は楽器の編成も選択肢が少なくて、ドラム・ベース・ギター・キーボードという感じで大体の基本形が決まっていた。しかも一発録音。だから意志決定に時間がかからなかった。今はドラムを生でやるか、マシンか、サンプリング音源か、そこから始めなきゃならない。選択肢が無限にある。ギターのエフェクターひとつ取っても、今はコンピュータの中でなんでもありになっちゃった。聴く側だって、それこそアプリが好みの音楽をなんでもレコメンドしてくれる。しかも全部無料でしょ。
──達郎さんはレコメンドされたものは聴かれますか。
聴きません(笑)。
■僕らは聴覚を通じて音楽を享受してきた世代だから、響きとか倍音の美しさ、音の塊が持つ色彩感とかで選ぶ。見てくれじゃない
──そこは選ぶんですね。あくまで選択的に生きるという。
自分の耳で選ばないとダメ。今、よく聴いてるのが“グローバル・トップ50”という世界中のヒット曲を集めたプレイリストなんですが、それにしたって選ぶのはあくまで自分の耳。そもそも“あなたに合った曲”とか薦められても、合っていたためしがない(笑)。大体、人間の嗜好ってそんなに狭いものじゃなくて、たまたまそれを聴いてよかったという出会いがある。ヒップホップばかり聴いてたやつが、クラシックを聴いてすごくいいと思う瞬間があったりする。それはキューバ音楽でもブラジル音楽でもよくて、要は垣根がない。それが本来の意味でのグローバリゼーションだと思うんです。
今は聴覚以上に、視覚が支配的な時代ですよね。それこそ音を消してダンスだけ観て、その上で曲を選ぶ場合さえある。アイドルに至ってはもう何十年も、ブロマイドに歌が付随しているような売り方をされてますよね。僕なんかが経験してきた音楽の制作手順とはかけ離れているんです。僕はあくまで聴覚を通じて音楽を享受してきた世代だから、響きとか倍音の美しさ、音の塊が持つ色彩感とかで選ぶ。見てくれじゃないんだよね。
──今『CIRCUS TOWN』をあらためて聴くと、76年の時点で、非常に構築された音楽を志向されていたことに驚かされます。
10代からそういう音楽を聴いて育ってきて、自分でもそれがやりたかったんですけど、バンド(シュガー・ベイブ)ではなかなか実現できなかった。また、そういう志向を公に発信しても、こちらの意図とはかけ離れた、的外れな反応が返されることが多かったんですよ。(シュガー・ベイブ唯一のアルバムである)『SONGS』なんか、当時の評価は散々だった。
僕自身、今で言うならマニアというか音楽オタクのはしりだった。ベスト10入りするようなヒット曲はまったく聴かずに、30位、40位あたりをうろうろしているような曲が好きで、自分以上に音楽を知ってるやつはこの世にいないとか、テクニック的にも自分よりうまいやつなんかいないとかね。そういううぬぼれを持っていたのが、いざ世間に出ていくと、現実とのギャップに悩まされたわけです(笑)。バンドではまったく食えなかったし、自分の好きな音楽は世に受けられないんじゃないかってトラウマをずっと抱えていた。シンガー・ソングライターであれバンドであれ、自分の名前で作品を発表していくこと自体、早晩不可能になっていくんじゃないか。そう予測していた時期が、相当長く続いていました。
『CIRCUS TOWN』って、Charのデビュー・アルバムと発売時期が同じだったんです。原田真二、ツイストが翌年にデビュー、78年にはサザン・オールスターズや竹内まりやが出てくる、そういう時期で、日本のロックやフォークがメジャー化していくタイミングに当たっていた。自分の音楽って、時代のそうした趨勢に明らかに合わないんですよ。バンドも解散してしまって、とにかく先行きが見えなかった。
一方、かろうじてCМの世界にもぐり込めて、なんとかそれで食いつないでいたので、この先の展望で一番可能性があるとすれば職業作曲家かな?とか考えたんです。だったら自分が聴いてきたレコードと同じメンバーで自分の曲をやってみたらどうだろうと。ほとんど妄想ですけど、それが『CIRCUS TOWN』を海外レコーディングで、という発想のとば口だった。本当は全編NYでやりたかったんだけど、予算の関係でアルバム片面はロサンゼルスで録音してます。
──音楽制作って、外から見ると夢の世界というか、ふわっとしたイメージで捉えられがちですが、達郎さんの場合、スタート地点から予算の問題だったり、ビジネスの厳しさの洗礼を受けたわけですね。
なんだけど、コマーシャルなものを作れと言われると、そんなのくそくらえと思う自分もいたんです(笑)。いつも誤解されるんだけど、ごく柔らかい、優しい印象を与える音楽をやってはいても、スピリット的には下北沢や荻窪を拠点としていたサブカルチャーの感覚が支配している。売れるためにやってるんじゃなく、柔らかく聴こえる響きが好きなだけ。分裂しているというか、ジレンマですよね。その意味で自分が属する場所がないというトラウマは当時からあったし、今でも引きずっている。結局は“一人”なんだというね。
■食うためにいろんな仕事をやったことが、『RIDE ON TIME』あたりで活きてくる
──『CIRCUS TOWN』を作ってみて、ご自身のそうした立ち位置が明らかになった面はありましたか。
作家的な立ち位置だったら、なんとかやっていけるんじゃないかという感触は得ました。ニューヨーク・サイドのアレンジャーだったチャーリー・カレロが、普通は渡さないスコアを全曲分僕にくれたことも、自分がやっている音楽は間違っていないという確信につながったし。カレロのスコア自体、非常に実践的なものだったので、それを教科書のようにして、続く『SPACY』の譜面を一所懸命書いたりもしました。
コーラスの仕事がスタジオ・ミュージシャンとしては一番多かったけど、CM音楽をやるうちに、作曲と編曲の仕事も少しずつ入ってきてね。裏方的な仕事をいろいろやらされた経験が、現在に至るまですごく役に立ってます。当時の所属レコード会社からは次第にないがしろにされ、宣伝費もろくに出してもらえなかったけど(笑)、最初から10トン車3台連ねてツアーをやる代わりに、契約書に縛られて箱庭生活を余儀なくされるとか、そういう羽目には陥らずに済んだし。人間万事塞翁が馬で、何がプラスで何がマイナスかは軽々に言えないけど、とにかく、食うために色んな仕事をやったことが、『RIDE ON TIME』あたりで活きてくるんです。
77年に『SPACY』を作った時には、自分なりのドリーム・チームを曲に合わせて想定して、名うてのスタジオ・ミュージシャンを起用してレコーディングしたんだけど、上手い人ほどギャラが高いので、アルバムと同じメンツでライヴができないんです。やっぱり自分のバンドじゃないとダメなんだと考えたことが、78年の『GO AHEAD!』につながっていく。それもスタジオ仕事をこなすことを通じて培われた感覚のひとつですね。
──78年には、ライヴ2枚組の『It’s A Poppin Time』もリリースされています。
今はなき、六本木ピットインでのライヴ・レコーディングですよね。上階にソニーのスタジオがあって、ラインでそのまま録音できた。ここにも予算の問題が関わっていて(笑)、ドラムの(村上)ポンタやベースの岡沢章さんは、たとえばアイドルシンガーのツアーだとワンステージ8万取るんだけど、ライヴハウスだったら2万でやってくれた。当時の僕は、ライヴハウス・レベルなら客を満杯にできたので、自分を無償にすれば彼らのギャラはまかなえたんです。
──と同時に、70年代後期のライヴの熱気の、得難い記録にもなっています。
『SPACY』にも参加していたポンタや、ギターの松木(恒秀)さんも亡くなったからね。坂本(龍一)くんも……。そんなこと言ったら、佐藤(博)くん(キーボード)や青山純(ドラムス)もそうだけど。
──80年の『RIDE ON TIME』は、青山純さんとベースの伊藤広規さんが登場したことでも、エポック・メイキングなアルバムですよね。
あの二人と出会えたのは、本当に大きいです。
──時代の節目がレコードの形を取って残っているというか。『RIDE ON TIME』は、ドラムとベースのコンビネーションだけ聴いても、違うことが起こっているのがわかる。すごいと思います。
確かに。ドラマーというのはテクニックに得手不得手があるもので、ポンタにできないことはユカリ(上原裕)に頼む。ユカリが苦手なタイプの曲はポンタに頼むという調子だったのが、青純は一人で両方ともできたんです。そういうドラマーは初めてだった。まだ23歳だったんですよね。まあ僕だって27歳で、お互い若かったんだけど。
──しかも伊藤広規さんとコンビというところが、よくできている。
「よくできてますよね。その意味で『FOR YOU』は、演奏力が自分の望んでいたレヴェルにたどり着いたアルバムなんです。上手いというだけじゃやっぱりダメで、ドラムとベース、ギター、そしてキーボードの有機性というか、お互いがお互いをちゃんと聴いて、その上で僕が持っているイデアに近づけようと努力してくれた。それがスタジオ・ミュージシャンだと時間仕事だからね。ああ、もうケツカッチンだからって、次の仕事へと去っていってしまう。そういうものなんですよ。
青純と広規は、暇さえあれば二人して練習スタジオにこもって、(グルーヴの)パターンを作って練習していたからね。そこに僕が加わって、今度は三人でパターンを作って。土岐のオヤジ(英史。サックス)が呆れてましたもん、“またパターンか!”こっちも“ジャズ屋にはわからねえよ!”って(笑)。
■今回リイシューされた8枚のうち、不本意だったアルバムって1枚もない
──そのせいでしょうか。大ヒットしたアルバムにもかかわらず、今聴いても『FOR YOU』に色褪せたところがないのは。
『FOR YOU』で、自分がイメージしていた世界がある程度サウンドとして具現化できた。しかもクオリティと売り上げとが共存できたんだから、非常に幸運なことだったと思っています。一方で、今回リイシューされた8枚に、不本意だったアルバムは1枚もないんですよ。“やらされた曲だから”という理由で、ヒット曲をライヴでやらない人がいるけど、僕にはそういうのは1曲もない。
レコーディング環境だけじゃない、オーディオ面での環境の変化も、味方してくれた面はあります。ウォークマンとかカーステレオの普及は大きいと思う。磁気テープにしても、『GO AHEAD!』まではスコッチの206。それが『MOONGLOW』からアンペックス456というバイアスの高いタイプへと推移していく。ドルビーの向上とかね。レコーディング環境にしろオーディオ環境にしろず~っと上り調子で、そういう意味では80年前後がアナログ・レコーディングのピークだった。ウォークマンが出てきたのが79年だから。
──そうしたもろもろの影響を、最も幸福な形で反映しているのが『FOR YOU』というアルバムだった。
裏を返せば、『GO AHEAD!』までの恵まれない環境が、巡り巡って実を結んだとも言えるんですよね。あのアルバムはとにかく予算がなくて、120時間、800万以内で作れと言われて“上等だ!”と(笑)。シンセ・ベースを自分で弾いて、112時間、780万で作った。ギター・ソロも初めて自分で弾いたし、タンバリンも叩いてる。まさに家内制手工業なんです。
──D.I.Y的とも言えるそうした感覚が、今度は80年代、『MELODIES』以降のコンピュータ・ミュージック的制作手法へとつながってもいる。おもしろいものですね。
その意味でも『FOR YOU』って節目のアルバムなんです。僕自身にとっても、80年代初頭にピークを極めたアナログ・レコーディングにとってもね。
TEXT BY 真保みゆき
リリース情報
TATSURO YAMASHITA RCA/AIR YEARS Vinyl Collection
5月3日(水)発売 『FOR YOU』(1982年作品)
6月7日(水)発売 『RIDE ON TIME』(1980年作品)
7月5日(水)発売 『MOONGLOW』(1979年作品)
7月5日(水)発売 『GO AHEAD!』(1978年作品)
8月2日(水)発売 『SPACY』(1977年作品)
8月2日(水)発売 『CIRCUS TOWN』(1976年作品)
9月6日(水)発売 『IT’S A POPPIN’ TIME』(1978年作品)
9月6日(水)発売 『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』(1982年作品)
特設サイト
https://www.tatsurorcaairyears.com
TATSURO YAMASHITA RCA/AIR YEARS Vinyl Collection ご予約はこちら
https://tatsurorcaairyears.bio.to/m7021t
山下達郎『CITY POP UP STORE FOR YOU @ TOWER RECORDS SHIBUYA』
詳細 ※5/2(火)~5/28(日)開催
https://towershibuya.jp/news/2023/04/20/181159
TATSURO YAMASHITA RCA/AIR YEARS Vinyl Collection Twitter
https://twitter.com/TATSURO_RCA_AIR
ライブ情報
『山下達郎 PERFORMANCE 2023』
https://tatsuro.co.jp/live/
プロフィール
山下達郎
ヤマシタタツロウ/1953年東京都出身。1975年、シュガー・ベイブとしてシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』でデビュー。1976年、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー。1980年発表の「RIDE ON TIME」が大ヒット。アルバム『MELODIES』(1983年)に収められた「クリスマス・イブ」が、1989年にオリコン週間シングルランキングで1位を獲得。30年以上にわたってランクイン、日本で唯一のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。1984年以降、竹内まりや作品のアレンジ及びプロデュースを手がける。2015年「平成26年度(第65回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)」に選出。2016年には、1986年から続く「クリスマス・イブ」30年連続オリコン週間シングルランキング100位入りという記録が、ギネス世界記録に認定。2022年には11年ぶりのオリジナル・アルバム『SOFTLY』を発売、オリコン週間アルバムランキングで1位を獲得。自身のレギュラーラジオ番組『サンデー・ソングブック』は30周年を迎えた。CMタイアップ楽曲の制作や他アーティストへの楽曲提供など、幅広い活動を続けている。
山下達郎 OFFICIAL SITE
https://tatsuro.co.jp