芸能生活20周年を迎えた中川翔子がベストアルバム『超!しょこたん☆べすと――(°∀°)――!!』をリリースした。全国各地でリリースイベントを行い、日本国内はもちろん、世界各国でのアニソンイベントにも数多く出演してきた。歌手だけでなく、タレントや声優、女優、イラストレーター、漫画家、ブロガー、エッセイスト、そして、現在はチャンネル登録者数95.5万人を誇るYouTuberと活躍の場を広げ続けてきた彼女にとって、音楽活動はどんな位置付けにあるのか。2006年7月の歌手デビューからの16年間を振り返ってもらった。
■芸能界に入るとは思ってもいなかった頃から、アニメソングを歌いたいという思いがあった
──芸能生活のスタートは16歳という認識で間違ってないですか。17歳のときに「ミス週刊少年マガジン2002」に選ばれています。
混乱するんですけど、子役を一瞬やってた時期を含めるか含めないか問題があって。私は含めないよって言ってるんですけど、Wikipediaには活動期間が“1990年から”って書いてあるんですよね。そうなると、よゐこさんと同期とかになってしまうので(笑)、含めないでもらって。
──(笑)では、改めて、芸能生活20周年という節目でベストアルバムが出ることはどう感じてますか。
めちゃくちゃ幸せです。以前、ベストアルバムを出させていただいてたんですけど、そのときもまさかベストが出るまで歌えるなんてって感激して。そう思ったのがつい3年ぐらいかなと思ったら、それからもう11年も経っていて。あっという間ですし、めちゃくちゃ感慨深くて。深呼吸をしながら立ち止まって、これまでのことを考える機会にもなったし、めちゃくちゃ意味がある20周年で本当にうれしいですね。
──歌手デビューからは16年になりますが、振り返ってみて、どんなことを考えましたか?
芸能界に入るとは思ってもいなかった頃から、アニメソングを歌いたいという思いがあって。はじまりから今に至るまでいちばん大きくて、ずっとブレない夢が本当に叶ったんだなっていうことをやっと実感できて。
──今、やっとですか?
ずっとどこか夢見心地というか……。自己肯定感の低さのせいで“そんなわけない。信じられない”って思ってて。街で声をかけられても、“なんで私のことを知ってるんですか?”みたいな感じの他人事感というか、不思議な感じでいたんですよ、この20周年まで。20代はひたすらわけわかんないまま走り続けてきたっていうところもあったから。
──何か実感できるような出来事がありましたか。
30代になってからは、子どもたちの思い出になる何かができたらいいなと思いながらお仕事してたんですけど、最近は、20代後半の人に「ちっちゃい頃から見てました」とか、「ポケモンで見てました」って声をかけられることが増えてきて。最近、リリースイベントで大阪と滋賀に行ってたんですけど、たくさんの人が来てくれて。ファン同士で結婚された方も多かったし、子どもたちもたくさん来てくれたんですね。大阪では男の子が「絶対に見逃せないと思って来ました」って言ってくれて。
■歌がある人生で、そして、この人生で良かったんだなって初めて思えた
──あははははは。
あとは、「しょこたんみたいに歌を歌う人になりたい」って恥ずかしがりながら言ってくれる子もいたし、「しょこたんみたいに声優さんになりたい」って言ってくれる子もいた。「ラプンツェル」のドレスを着てる子もたくさんいて。もう本当に胸がいっぱいになったし、自分の中にも変わらない、あの頃の自分がずっといるなって感じて。中学の頃の引きこもりの私、二十歳になって、世界が変わり出してワーってなってる頃の私…。この20年でたくさんの夢が叶ってきたと思うと、そのうれしさや喜びを、未来の地球を輝かせる子どもたちが受け取ってくれてるっていうこと最高にうれしくて。本当にいろいろあったけど、歌がある人生で、そして、この人生で良かったんだなって初めて思えたというか、受け止められる自分になれたっていう気がしましたね。自己肯定感が低い自分に飽きてしまったのもあるんですけど(笑)、今がいちばん、気持ち的にもお仕事的にも楽しいし、いちばんベストな感じがしますね。そういう意味で、すごく清々しく、ベストアルバムをお届けできるなと思います。
──豪華全5形態でリリースされるのですが、今回はオリジナルのシングル曲が収録された2枚のCDを軸にお話をおうかがいしたいなと思ってます。まず、DISC1にはデビュー曲「Brilliant Dream」から15枚目のシングル「ホロスコープ」までが収録されてます。
周りを見る余裕もないぐらい必死に駆け抜けてきた20代がつまってる、私の第1期ですね。「Brilliant Dream」のときは本当に続くと思ってなくて。左右のステップすら踏めずに、拳をあげないと歌えなくて、ボクサーみたいなスタイルになってて(笑)。池袋サンシャインシティの噴水広場でイベントやったときに、始まる前までは“もう、私なんか駄目だ…”ってなってるくせに、始まると「イエイ!」って、ラプンツェルっぽく切り替わったことを鮮明に思い出せる。だから、ついこないだっぽいけど、「Brilliant Dream」のMV撮影のときに拾った黒猫がもうおじいちゃんになってるって考えると、たしかに16年経ってるんですけど…やっぱり、ついこないだっぽい感じがする。あとは、やっぱり3rdシングル「空色デイズ」ですね。
■「空色デイズ」のおかげでここまで来たっていう感じがあります
──シングル全曲を歌った配信ライブでも「私の人生を変えてくれた宝物のような大好きな曲」とおっしゃってました。
芸能活動自体、「空色デイズ」のおかげでここまで来たっていう感じがありますね。アニメ主題歌に決まったとき、オリコン3位が決まったとき、NHK紅白歌合戦で歌ったとき、海外ライブで初めて歌ったらみんなが合唱してくれたとき…。この曲にはめちゃくちゃ思い出がいっぱいあって、それこそ、毎回、空の色みたいに全然違う感覚になるし、生涯大事に歌っていける曲に出会えたっていうことは本当に大きいですね。
──松本隆×筒美京平による7thシングル「綺麗ア・ラ・モード」も歌い続けるとおっしゃってました。
大好きな松田聖子さんに書かれていた松本隆さんに書いてもらう夢が叶った曲ですね。当時のレコーディングのときは、松本隆さんに緊張しすぎて、「君、下手くそだね」って言われたこともあったんですけど(笑)、今、本当に幸せを吸い込みながら歌わせていただけて。今がいちばん気持ちよく歌える時期なのかもしれないですね。いやあ、いっぱいありますな~。全部言ってしまいそうになる。
──MVでいちばん好きなのは、9thシングル「心のアンテナ」とおっしゃってました。
そうですね。松本隆さんと細野晴臣さんっていう大好きなおふたりに書いていただいた、すごく優しい気持ちになる曲だし、このMVを見ると泣きそうになりますね。この日、声帯炎になっちゃって。楽しかったんですけど、全然声が出せないままMVを撮って。透明の板に絵を書いて、猫たちが空を飛んで、周りを一緒に回ってくれて。あと、ポケモン映画の湯山監督がこの曲をすごく気に入ってくださって、サトシがいろんなポケモンと空を飛ぶMVを特別に作ってくれたし、スイス(スイス・ロカルノ映画祭)で歌ったときは海外のポケモンファンの人たちがみんな喜んでくれて。これも思い出いっぱいですね。もう最高すぎる。胸がいっぱいになります。もしタイムマシンがあるなら、このときに戻りたいっていうのが、私は2009年なんです。
──どうして2009年なんですか。
2009年10月に武道館でワンマンライブがあって。「この曲、ブランコで歌いたいな」ってことをぽろっと言ったら、スタッフさんが叶えてくださって。ブランコでお花いっぱいのドレスで歌って、大きな画面にはこのMVが流れて、クリオネコが周りに来てくれて。スッゴイ幸せでした。ただ、その武道館をすごく楽しみにしていた、本当に父親代わりで大好きなことを全部教えてくれた祖父が亡くなってしまって。それでもコンサートが迫ってるということが大きな壁だったんですね。この仕事は、小さい頃からの夢が叶ったり、すごく楽しいけど、どんなに悲しいことがあっても、笑顔でやりきらなきゃいけない。もちろん、どの仕事でもそうだと思うんですけど、やっぱり”すごくつらいことだな、これは”って思ったのを覚えてて。その日を忘れないために、この赤い色の指輪を買ったんですね。
──今日も身につけてますね。
私にとっては初めての大きい買い物でもあったんです。祖父が、武道館で6thシングル「続く世界」を歌うときは、「火が出る、火の鳥みたいな演出をしてくれ」って言ってて。もう声が出なくなっちゃっていたんですけど、メモで書いてくれて。実際には見せられなかったけど、歌ってるときは、大事な人たちは空で聴いてくれてる気がしたんですね。そのときに買った指輪は、ずっとつけてますね。
■曲の数だけたくさんの出会いがあったし、歌は私にとって宝物だし、魔法のようであり、味方のようでもある存在
──武道館でも歌った10thシングル『「ありがとうの笑顔」』はまさにそういう曲ですよね。もう会えなくなってしまった大切な人への感謝の気持ちを歌ってます。
そうですね。そのことがあってからできた曲だから。それって、すごくリアルだし、実体験だし、ずっと忘れないけど、忘れたくないから刻みつけるためにも歌詞にそれが残ってて。その感情をいろんな人と共有したっていうことが今、生きてる道なんだなっていうのは不思議な気持ちになりましたね。大きく強くなるきっかけでもあったかもしれないですね。それ以降も、やっぱり悲しい出来事あっても、ステージに立ってきたし、何があってもそれは出さずに出てきた。この20年の中でいっぱいあったけど、私には歌がついてる、思い出がついてるっていうふうに思えるというか。曲の数だけたくさんの出会いがあったし、歌は私にとって宝物だし、魔法のようであり、味方のようでもある存在ですね。
──Disc2は、2013年6月にリリースされた16thシングル「続 混沌」から始まります。
ここからはちょっと振り幅が…カオスですね。Disc1はキラキラ、平成、20代という感じで駆け抜けたけど、「続・混沌」からはちょっと尖ったことしてみようかなという気持ちになって。黒髪にしたいと言ったのも自分だし、黒リボンで全身を包んだビジュアルを提案したのも自分から。なんかロックを歌いたい時期だったんですね。でも、その反動で、17thシングル「さかさま世界」では小学生の男の子になった感じの歌い方をしてみて。その後の「PUNCH LINE!」はでんぱ組.incとのコラボ曲。私はずっとソロで、“ぼっち”で生きてきて。初めてグループになることができて、一緒にリリイベもして。ひとりのときは歌う前は必ず落ち込んでたのに、このときはみんなで「頑張ろうね」って言い合えたから、初めて緊張してなかったのも覚えてますね。楽しかったな~。
──そして、18thシングル「ドリドリ」ですよね。TVアニメ『ポケットモンスター XY』のEDテーマ。大事な曲。
この曲、最初は「Dream Power」っていうタイトルで、サビも英語でカッコいい発音で歌ってたんですよね。でも、OKテイクが録れたあとに、「ドリドリ」でよくない?ってなって。“ドリドリドリームパワー”って歌い直して、タイトルも「ドリドリ」に変えて。そしたら、この曲に合わせて、ポケモンのヒロインのセレナちゃんが踊ってくれて。最近のリリースイベントでも必ずやるんですけど、「ドリドリ」は初見の人でも「ポケモン好きですか」って言って歌うと、みんな笑顔になってくれて。あと、腕を回す振り付けがあって。
──間奏のところで、ぐるぐるとかなり早く回すフリになってますよね。
マスクがあったとしてもやれるし、子どもたちに「回せば回すほど夢が叶うよ」とか、「寿命延びるかも」っていうと、そのまま浮いちゃうんじゃないかってくらい、高速で回すんですよ(笑)。それがすごい楽しくって。だから、私にとっては第2章の代表曲ですね。「空色デイズ」と「ドリドリ」はどこに行っても絶対歌いたい、大好きな曲です。
──「私の人生はずっとポケモンとあった」ともおっしゃってました。
本当にそう思うんですよ。お年玉でポケモンの緑((ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 緑』)を買ったあの日があって。大人になって、「ポケカ」や「ポケモンパン」の絵も書いたり、アニメの作画もしたり、映画で声をやらせてもらって。そして、劇場版の主題歌「心のアンテナ」とTVアニメのEDテーマ「ドリドリ」を歌わせていたただいたりとか。
──小林幸子さんとのコラボで映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』の主題歌「風といっしょに」も歌ってます。
その前に、“しょこたん♡さっちゃん”として、「無限∞ブランノワール」をコラボさせていただいて。幸子様にすごく優しくしていただけて、一緒にご飯食べたりもして。すごく楽しかったんですけど、そのときはまさか「風といっしょに」を歌うことになるなんて想像もしてなくて。人生って本当にRPGだなって思うんですよね。そのときはまったく夢にも思ってなかったけど、フラグが立ってたんだなって。さらに、また別の方向から、「タイプ:ワイルド」の話が来て。
──TVアニメ「ポケットモンスター サン&ムーン」の5代目EDテーマでした。
冨安(大貴)監督に声をかけてもらって。このときも燃え尽きるぐらい、リリースイベント『ポケだちツアー』で日本全国を回って。ラゾーナ川崎にも、たくさんの子どもたちが来てくれて。会場で曲が流れてると、“いつの間にか タイプ:ワイルド!”っていう合唱が始まって。それを見て泣きましたね。これが私の夢だ。今、それが叶ってるんだっていう光景をたくさん見ることができて。当時はまだコロナ前だったんで、手にラメをつけて握手会をしたんですけど、子どもたちがポケモンの好きなぬいぐるみを持ってきて。ラメがつくとキャーって喜んで、自分のぬいぐるみにつけて帰るんですよね。それがかわいくて。めちゃくちゃ幸せをかみしめて、若干燃え尽きてたぐらいだったんですけど(笑)。
■Disc1は自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、Disc2からは誰かが笑顔になってくれることが幸せってはっきりと思ってます
──こうしてディスコグラフィーを振り返ってみると、歌う目的は変化しているのがわかりますね。自分のためではなく、誰かのために歌うようになってます。
うん、そうですね。Disc1は自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、Disc2からは誰かが笑顔になってくれることが幸せってはっきりと思ってますね。だから、30代以降のほうが、生きててよかったっていう瞬間が多くなってて。ひとつずつ全部が、その先のフラグとして繋がったりもしてきてるし、このベストアルバムは私の人生ですね。
──さらに、新曲「ヌマルアクマ」が収録されています。作詞はしょこたん本人が手掛けてます。
最初はピースフルな曲を作詞しませんかっていう話になって。よし、平和の曲作るぞって思って持って帰ったら、これになっちゃった(笑)。
──あははは。どうしてこうなりましたか?“清楚なあの子の 喉元切り裂き”から始まりますよ!
作詞をどうしようかなと思って、ボーっとしてたんですけど、「チェンソーマン」のアニメが始まって。「チェンソーマン芸人」でパワーちゃんのコスプレしたこともあって、パワーちゃんかわいいなと思いながら見てたら、こうなっちゃいましたね。友達との雑談でよく、「清楚っぽい子ほどすごいことを考えていたりするよね」みたいな話をしてて。そういう毒は誰しもあるかなって思うんですよ。頭の中ではみんなね、いろんなことを考えたりするし、人に迷惑かけなければ、想像することは自由じゃないって思ったりもするし。
──ご自身で作詞した最新曲がこれだっていう。
ずっと追いかけてくれてきたファンの方をびっくりさせたかったんですよ。私の楽曲を振り返ってみると、平成感があって。私は昭和に憧れてもいるから、その時代感が出るのはうれしいけど、私の歌の個性って何だろうなってずっと悩んでて。それこそヒャダインさんに、「もう個性が出てきてるから大丈夫だよ」みたいに言ってもらってうれしかったんですけど、歌によって声が変わっちゃうことを気にしてたりもしたんですね。同時に、今回、声優の仕事でやってきたことも思い出したんですけど、私は吹き替えをやるときに、中川翔子感が絶対出たくないなって思ってて。「しょこたんってわかんなかった」って言われると、よっしゃ!ってガッツポーズをしてたんですけど、逆に歌は個性が出てこそじゃないか?って思ってて。でも、今回は、ファンの人もわかんないぐらいの感じでやりたいなって思って。
──しょこたん味がなかったですよ。最初は人気の歌い手さんかな?と感じたくらい。
やったー!よし!ロックモードのときの私とは違う感じにしたかったんですよね。あと、真似しやすい振り付けも作れたらいいなって思ってて。TikTokで流れてきて、これいいなってなってくれたらいいなっていう思いもあって、こういう歌詞にしてみました。“あなたの眼球が 気になる”ってところがすごい気に入ってます。
──あはははは。“ギッダギダ”とも言ってます。
そういえば、歌だったらなんでも言っていいんだよなって思い出して。「PUNCH LINE!」と「無限∞ブランノワール」を除き、シングルってだいぶ真面目なんですよ。真面目に生きてきてよかったなと思いつつ、ちょっと1回振り切って、令和ぽくしたいなって思って。私はホラー漫画や映画、グロも好きで観てるけど、歌はすごい真面目で。でも、かわいいものも好きできたから、逆に、やっと“中川翔子っぽい”のかもしれないですね。
──“アバラ折る”とか、“ハラワタ”とか言うのが中川翔子である、と。
これでどうやって平和方向にしようとしてたのか。跡形もないですけど、どの曲ともかぶってなくていいかなと思って。それこそ初期の頃の歌声は今とは全然違うし、めちゃくちゃいろんな歌声が入ってる。私が20周年を振り返ったときに、本当に毎日違う仕事をしていて、でも全部自分なんですよね。
──毎日、違う仕事をしてるなかでの音楽活動はどんな位置付けですか。
松本隆さんのトリビュートライブやディズニーのコンサートに出させてもらったり、ミュージカルに挑戦したときも、歌を歌う人生でよかったなって感じて。すごく楽しいし、すごく幸せだし、いちばん生きてるって感じられるんですね。それに、「しょこたんってなんの人なの?」って言われても、「私は歌があるもん」と思ってきたし、今は「歌があります」って胸を張って言えるようになった。もちろん、私が歌ってること知らない人がまだ多いかもしれないけど、シングルのリリース期間が空いてしまったときも、コンサートだけは絶対やるぞって決めていたし、海外に行って歌うことができたり、日本語のままお仕事できるのはアニソンだからだと思う。とにかく、私は、歌がある人生でよかったって強く思います。それこそ自己肯定感というものがあるとしたら、その根幹にずっとあるものかもしれないですね。これからも歌がある人生でよかったって思い続けられる自信があります。
■少しでも、なるべく長く歌い続けられるようになりたい
──今あった“これから”はどう考えてますか。
いろんなコンサートにゲストで呼んでいただくなかで、たくさんの先輩方に出会ってきて。アニソン界のレジェンドの皆さん、すごくカッコいいんですよね。例えば、堀江美都子さんは13歳のときに歌った楽曲とまったく同じ声で歌ってて。「ファンの人は音源と同じ声が聴きたいのよね。人間は声が変わっちゃうけど、腹から出た声が喉を通って、口の中で手術してから出すのよ」っておっしゃってて。いや、かっこよすぎる!それに、ささきいさおさんや水木一郎さんは曲がありすぎて、いつも鉄板曲をライブで歌われてるんですけど、ファンはコアな曲が好きだったりするんですよね。でも、リクエストされたときは、断らないで絶対に歌ってくれる。音源がない曲でも、作り直して、練習して、歌ってくれたりする。それを言わないんですよね。かっこよすぎる!そういう先輩方の背中を間近で見て、長く続けている方々の生き方やお話聞く機会が多いので、本当に頑張ろうって思いますね。だから長く活躍されてるんだって思うことが本当にたくさんあるので、まだ全然そうはなれないけど、少しずつ、私なりの、私だからっていうものを固めていけたらいいなと思いつつ、新しい曲に出会えたらうれしいですね。毎回、これで最後かもってステージに立つたびに思ってお仕事してきたけど、やっぱりまた未来を見たくなるし、夢って見つかりだすし。「ドリドリ」みたいに、夢って見つけた瞬間から未来が輝き出す気がする。だから、少しでも、なるべく長く歌い続けられるようになりたいっていうのは、今、大きく思ってることですね。そのためには命が大事。YouTubeを始めたおかげで、休みの日が怖くないというか。YouTubeもあるしって思えるけど、これが当たり前じゃないってこともすごくわかってる。忙しいのが好きだし、仕事も大好きだけど、長くやるためには、ちゃんと休むことも大事だなっていうのは、この夏にハワイに行ったときに思ったことですね。
INTERVIEW & TEXT BY 永堀アツオ
PHOTO BY 関信行
楽曲リンク
リリース情報
2023.2.22 ON SALE
ALBUM『超!しょこたん☆べすと――(°∀°)――!!』
ライブ情報
ベストアルバム発売記念 中川翔子『超!音返しツア――(°∀°)――!!2023』
https://www.shokotan.jp/news/?id=1087
プロフィール
中川翔子
ナカガワショウコ/2006年7月、シングル「Brilliant Dream」でCDデビュー。2007年、「空色デイズ」で『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。2011年、ディズニーアニメ『塔の上のラプンツェル』で主人公ラプンツェルの日本語吹替を務める。2015年、NHK連続テレビ小説『まれ』で連続ドラマ初出演。2020年4月には、YouTubeチャンネル『中川翔子の「ヲ」』を開設。2022年に芸能生活20周年を迎えた。歌手、タレント、女優、声優、イラストレーターなど多方面で活躍中。2023年5月5日には自身が主催する音楽フェス「祝・日比谷野音100周年 しょこたんフェス」の開催が決定。
中川翔子 OFFICIAL SITE
https://www.shokotan.jp