一発撮りオーディション『THE FIRST TAKE STAGE』セミファイナリストであり、同オーディション内で唯一の100万回再生を突破したことでも話題となった、小林右京「顔が良いやつは音楽をやるな」。同曲が、後藤次利(元・サディスティックミカバンド)をプロデュースとアレンジに、そして豪華な演奏陣を加え、配信リリースされた。今回、“顔が良いやつ”として曲のモデルとなった小林私を招き、小林右京×小林私の対談が実現。インターネットから出発し、今、共に世間を騒がせるW小林語録、お楽しみあれ。
INTERVIEW & TEXT BY 天野史彬
PHOTO BY 冨田望
HAIR MAKE UP BY 宇佐美順子[小林右京]
■共通項は、“やるべきでないこと”を“やるべき”だと思っている
──私さんと右京さんは、直接会うのは今日が初めてだそうですね。
小林私(以下、私):そうなんです。元々、Tinderで知り合ったんですよ。それで、「キスしよう」ってなって。
小林右京(以下、右京):そうそう、「ワンナイトせえへん?」って(笑)。
──……。おふたりの関係を真面目に振り返ってみていただけますか。
右京:去年、自分が「顔が良いやつは音楽をやるな」という曲をネットに上げたときに、私くんが“いいね”してくれて。そこからやりとりが始まりました。話していくうちに、自分と同じ香りがしたんですよね。“あ、こっち側の人なんだ”と思って(笑)。
私:“こいつ、通ってきたインターネット、近くね?”ってね。お互い、“ミュージシャンです、アーティストやってます”っていう感じのTwitterではなかったんですよね。むしろ絶対に言わなくていいことをTwitterで言い続けている人たちだった(笑)。
──「顔が良いやつは音楽をやるな」の“顔が良いやつ”のモデルになったのは、私さんだったんですよね。そのことについてはどう思ったんですか?
私:いや、僕自身もこの曲の中で歌われる“顔が良いやつ”というアイコンに対して、“いるよな、こういうやつ”っていう気持ちだったので。右京のTwitterを見て“俺のことかい!”と思ったんですけど(笑)、でも、魂的にはめちゃくちゃ共感しました。右京とも“気、合いそうやん”と思ったし。そもそもこの年代で、こういう感じで活動しているアーティストが他にいないので、“誰も仲良くしてくれないんじゃないか”っていう危惧があって。友達がほしかったんですよね。
右京:本当に、自分たちの他にいないよね。自然体といったらおこがましいけど……。
私:やるべきでないことを、なぜかやっている人たちね。“やるべきでないこと”を“やるべき”だと思っている人たち。
──なぜ、ふたりは“やるべきでないこと”を“やるべき”とするのでしょうね?
私:これはもう使命感だと思うんですけど、“アーティスト”と“ミュージシャン”って違うものだと俺は思っていて。“アーティスト”は、社会における役割を自分で意識したうえで活動していく人たち。それに対して“ミュージシャン”は、あくまでも“音楽を作る”だけの人たち。流行に乗るのはミュージシャンだけど、アーティストは流行を生み出す側でなければいけない……そういう意識が自分にはあって。自分はアーティストでありたいし、だからこそ、他の誰もやっていないことをやっていかなきゃいけない気持ちがあるんですよね。そもそも前提にあるのは、自分が表現者として活動していくうえで、無理はしたくないっていうことなんです。そのためにどうしていくかと考えたときに、自分が変わるか、世界が変わるかと考えたら、世界が変わってほしいなって思う。そのほうがラクだから。
右京:このあとに何言っても霞むなあ(笑)。自分はそこまでは考えてなかった。単純に、自分から音楽を抜いたら何も残らないと思っていて。ずっと、誰かに向けて作るっていうよりは自分のために、エゴイスティックに作ってきたものを、インターネットというツールを通して放流しまくっていた感じだから。
私:でも、どっかでカウンターパンチしてやろうっていうのはあるでしょ? 逆張りしたいっていうか。心の中にモンスターはいると思う。俺は自分の内側にいるガリガリで眼鏡かけているやつが、“それ、違うと思います!”って手を挙げているもん(笑)。
右京:そういうのはあるよね(笑)。やっぱり人生、うまくいかないことが多いから、それはどうしても恨み節として曲の中に出てくるし。曲もバイト中に出来ることが多いからね(笑)。
私:「顔が良いやつ~」はトイレで出来たんだっけ?
右京:そうそう、バイト中に曲のアイデアが出てきたからメモって、家のトイレで歌詞を書いて。それが、ここまできたっていう(笑)。
私:便所ミュージックね。B-POP(笑)。あの曲のメイン理念って、右京の“ズルい”という想いに集約されていて、そこがいいんだよね。最後の“ズルい…ズルい…ズルい…ズルい…”のところ(笑)。あれがあるのが、ちょうど良かったんだと思う。
右京:そうね。結局、他者への攻撃じゃなくて自分に戻ってきてるから(笑)。あの曲のYouTubeのコメント欄で「死にたかったけど、この曲を聴いて救われました」って書いてくれた人がいて。意外と女性からの反応が多くて。
私:たしかに、容姿的な部分で思うことがあるのって男性よりも女性の方が多いだろうし。
右京:“誰かを救う!”みたいな気持ちで作った曲ではないけど、そういうふうに受け止めてくれる人もいるんだなと思った。この先、この曲を演奏する機会があるたびに、“この曲で救われる人もいたんだなあ”っていうことを思い浮かべながら歌うんだろうなって思ってる。
──「顔が良いやつは音楽をやるな」のこのたび配信された新バージョンは、後藤次利さん(元・サディスティックミカバンド)をプロデューサーに、そして演奏に参加されていますね。他の演奏陣もものすごく豪華で、アレンジも過剰なくらい曲のテーマに沿っています。
右京:そうなんですよ。まず、提案してもらった名前の中に後藤さんの名前があったとき、ビックリしました。制作は主にリモート制作で、実際に自分がレコーディングに立ち合ったのはドラムの小笠原(拓海)さんと、ベースの後藤さんだけなんですけど、大御所の方たちも新しい時代の音源制作をしているんだなって勉強になりました。この曲が持つ皮肉の部分が伝わるようなアレンジにしたいなと思っていましたね。
私:あのコード進行の使い道として、今時っぽくない場所に回帰した感じだよね。
右京:そうそう、回帰させる感じ。今はあのコード進行はボカロ系でも使われたりするけど、あえて歌謡曲に回帰させる感じで考えました。
■ルーツにあるインターネットの影響
──改めて、おふたりがどういった文化に触れてきて、今こうして深い共感と共に出会っているのかを知りたいです。
私:まず、ふたりとも片親で。
右京:そうそう、そこは似ているよね。片親で、インターネットをやっていてっていう。
私:お互い、最初にハマったものの根底にインターネットがあるんだよね。俺の場合は、保育園の頃から文章を読むのが好きで、小学2年生のときには学校の図書室で本の貸し出し数1位になるくらい本を読んでた。絵を描くのも好きだったし、その頃からどっちかというとインドア寄りだったんだけど、パソコンの授業で『スーパー正男』だの『おもしろフラッシュ倉庫』だのを見始めて、“なんだこりは? 面白いンゴ!”って(笑)。
右京:自分も見てたわ~。“こんなに面白いもの、自分しか知らないんじゃないか”って思ったよね(笑)。
私:で、中学生くらいの頃にガラケーがスマホになり、『2ちゃんねる』とか、掲示板サイトに書き込むようになったりっていう。そういえば、右京の小学校の話とか、全然聞いたことないけど。
右京:自分もインドアな感じだった。覚えているのは、小さい頃に公園に行って、遊んでいる子たちに「入れて」と言ったら、「なんだこいつ?」みたいになって。そんな感じで遊ぶ相手がいなかったから、小学校の頃から『キングダム ハーツ』みたいなプレステ系のゲームをやってた。絵を描くのも好きだったな。そのあとでインターネットという武器を手に入れてしまって。
私:猿が火を手に入れたようにね(笑)。
右京:そうそう、文明を手に入れたから(笑)。それで、『アメーバピグ』とか、『GREE』とかをやり始めて。
私:やってた! 俺、『GREE』でギャルゲー延々とやってたわ。『鬼灯-ほおずき-』っていう乙女ゲームをガラケーでやってたんだけど、1回、入れなくなっちゃって。本当に、誇張なく、ガチ泣きした(笑)。
右京:ははははは!
私:右京と俺って、きっと同じ掲示板とかを通ってきてるんだけど、カルチャーがだいぶ違うんだよね。右京は、殴り合いだもんね。
右京:そうね。2ちゃんで昔からレスバしてたから。
私:ははははは!
右京:今はもうしないですよ?(笑)でも、そのレスバのおかげでめっちゃタイピング速くなって(笑)。そういう人格形成をしてきたんですよね。なので、心の中は歪んでいると思います(笑)。
私:俺は、『PBC』やってた。
右京:何それ?
私:カッコよく言うとPBC(Play By Chat)。カッコ悪く言うと、なりきりチャット(笑)。中学校3年間、なりきりチャットに没頭して。
右京:ははははは! めっちゃ恥ずかしいでしょ、それ! でも、自分もアメーバでなりきりチャットみたいなことやってた時期あったなあ。
私:……この話、放っておくとあと3時間くらいしますよ?
──一旦ここで止めましょう(笑)。でも本当に、インターネットの存在が、おふたりの人格形成にとって大きかったということですよね。
私:そうですね。僕に関しては、音楽もボーカロイドから入ったので。そこもインターネットの影響が大きいですね。
右京:自分は逆に、ボカロは通ってないんだよね。どっちかというと、昔の音楽をディグる方向でインターネットを使っていた。
私:ここでインターネット音楽の歴史が二分してるよね。
■それぞれの音楽の魅力、作り方の違い
──面白い話ですね。YouTubeでの配信を観ていてもわかりますけど、右京さんはたくさんレコードや楽器があるご実家で育ったんですよね。音楽に触れることは自然なことだったのでしょうか?
右京:そうですね、生まれた頃から周りに音楽がありましたね。小学校の頃にピアノを習ったり、お婆ちゃんに勧められて合唱を始めて、『Nコン』で結果を出すことができたりして。
私:その後、『NHKのど自慢』ね。
右京:それはだいぶあとだけど(笑)。人生の節々で“音楽って楽しいな”と思うタイミングがあったような気がします。小さい頃から好きな音楽はバンドものが多かったんですけど、そうすると、聴いているだけだと面白くないし、弾いてみたくなるじゃないですか。親が仕事に行っている間、一人っ子で暇だったので、「触るな」と言われてはいたけど勝手に楽器を触って遊んでいました。それで、少しずつ楽器が上達していきましたね。最初の方はギターやベースは指が痛くなるので好きじゃなかったんです。なので、まず親が電子ドラムを買い与えてくれて。電子ドラムって音ゲーみたいなものなので、スマホで音楽を聴きながら音ゲー感覚で叩いてました。
私:俺らって、この年代にしては珍しく『けいおん!』を通らずに音楽をやってるよね。
右京:ああ、たしかに。
──右京さんはご自身のルーツとしてフランク・ザッパなどを挙げられていますが、幼い頃から1960~70年代の古い音楽がお好きだったんですか?
右京:そうですね、小学校の4~5年生くらいの頃には、そういう時代の音楽が大好きでした。レンタルビデオ屋に親と一緒に行って、大量にCDを借りてもらったりしてました。あんまりよくないことだけど、インターネットでも聴いていましたし、そうやって知識を増やしていって。同時代の音楽を聴いていると、歌詞のメッセージ性や音の空気感が強すぎるというか、聴いていて疲れちゃうことも多くて。それで、昔の音楽を聴くことが多かったのかもしれないです。“今の自分とは関係ないや”と思って聴ける、その気楽さが好きで、昔の音楽にハマっていった部分はあると思います。
──右京さんのYouTube動画を観ていても、音楽に囲まれて生活していらっしゃるし、知識もあるのは伝わってきます。そんな右京さんから見て、私さんが作る曲にはどういった魅力があると思いますか?
右京:最初に聴いたのはオリジナルじゃなくて「ヴィラン」のカバー動画だったと思うんですけど、YouTubeに弾き語りのカバー動画を上げている人って、よくいるじゃないですか。なので、“よくある感じの人なのかな”って最初は思っていたんです。でも最近の曲を聴くと、例えば「HEALTY」なんてブルージーで、アコギの良さがちゃんと出てますよね。それに、シンガーソングライターはアレンジャーがつくと曲調がガラッと変わったりしますけど、私くんはそういう面もちゃんと分けて展開しているし、一度で二度美味しい。
私:ありがとう。あとでお金あげるね。
──逆に、私さんから見ると右京さんの曲にはどういった特色がありますか?
私:基本的に、僕は口語を歌詞にするのが苦手なんですよ。喋っている感じを歌詞にするのが苦手。でも、右京はそれがすごくうまいんですよね。「顔が良いやつ〜」もそうですけど、喋っているような、セリフのような感覚で歌詞を書けている。「ピーターパンシンドローム」や「飛べ!彗星」の歌詞にも、話し言葉のような感覚はあると思う。口語の歌詞って、日本語としては心地よくても、メロディに対して無理やりハメなきゃいけなくなって、そこが難しかったりして。でも、右京はそこがすんなりいけるんですよね。いつもすごいなって思います。
右京:照れちゃうなあ。
私:あとでお金ちょうだい。
──右京さんは、今、私さんが仰ったことは作詞されるときに意識されますか?
右京:歌詞に関しては、実はそこまでこだわって作っていないんですよ。曲を作るときはオケを先に作ってあとから歌詞を乗せることが多くて、どっちかというとパパッと手早く飽きないうちに作っちゃおうっていう感覚の方が強い。だから口語っぽくなるのかな。自分の場合、韻を重視して、意味のない英単語を入れたりすることも多いんです。
私:右京語みたいなものから作るっていうことでしょ? オケから作る人って、そうやる人は多いけど、俺はそれができない。俺は歌詞からしか曲を作れなくて。まあ、日本語が好きっていうのがあるからね。
──私さんは日本語詞に対してのこだわりが強い印象があります。
私:「洋楽は単純なことを歌っていていいよね」と言われることもあるけど、それって俺たちが感じることができていないだけで、例えば、“I don’t”と書くのと“I do not”と書くのって、意味は同じでも全然聴こえ方は違うと思う。その感覚ってネイティブじゃないと辿り着けない領域だと思うし、自分が英語詞を書いたとして、そういう機微を表現するのは無理だと思うんです。だからこそ、自分が使いたい武器は日本語なんですよね。それが自分にとってのネイティブだから。俺の場合、そもそも本を読むのが好きだし、俳句や短歌が好きだし、都都逸や落語も好きだし。やっぱり日本語が好きなんです。右京の場合はちょっと違うよね?
右京:そうだね。洋楽から先に聴き始めているし、邦楽をちゃんと聴き始めたのも大学に入ってからで。だから日本語詞に対しての知識もあんまりないし、口語じゃない文章で曲を作るのがまだ難しい。なんなら、“歌がなくてもいいじゃん”と思うジャンルの音楽も通ってきているから、日本語に対するこだわりもそんなになくて。できれば英語でやりたいけど、英語話せるわけでもないしっていう感じで、今の形になっているかな。
私:洋楽をメインに聴いてきている人が、そのメロディにどうやって日本語の言葉を乗せるのか? となったときに、例えばウルフルズがロックンロールに関西弁を乗せたりした。そういう流れのなかで右京がやったのは口語なんだけど、“僕”や“私”という主語の使い方じゃなくて、“我”とか“拙者”とか、そういう主語を使うっていうことだったんだと思う。
■ネット配信というツールの在り方
──それこそ、「顔が良いやつは音楽をやるな」は歌詞で“拙者”という主語が使われていることによって、この曲の主人公の人となりが伝わってくる部分もありますよね。この曲では“それに引き換え拙者は 一生ネットの晒し者/ガキとオタクを相手に道化を演じてる”と歌われていますが、おふたりも現在、ネットの生配信を通して聴き手と密なコミュニケーションを取っていると思うんです。なぜ、自分たちは活動の中で“生配信”という場所を必要とするのでしょうか?
私:寂しいからでしょうね。誰も喋ってくれないから。
右京:ファンの人からのリアルな意見を聞くのって、ライブでも無理ですからね。
私:それに、例えば動画で何かをやろうと思うと“ウケなきゃ”と思って格式ばっちゃうし、ステージ上でのライブでも、さすがにちゃんと作ったものをお見せしないといけないっていう気持ちもある。そう考えるとネットの生配信って、オンとオフの中間のすごくグレーな場所にあるものだと個人的には思っていて。生配信だと、“スベってもしょうがない”って、すごく肩の荷が下りるんですよ。それによって実験的なことができたりする。例えば、さっき言ってくれた「HEALTHY」のアレンジを生放送中に変えていって、そこで生まれたアレンジを翌日のライブで実際にやったこともあったし。
右京:ボブ・ディランみたいにライブごとにアレンジを変えていくっていう(笑)。自分で同じことばっかりやっていても飽きちゃうしね。ネットの生配信って、そんなに責任感を持ってやっていないんですよね。息をするように配信をつけて、インターネット上の友達と馬鹿話をする……それがとにかく楽しいっていうだけ。現実で友達がいないから、ファンを友達だと仮定して盛り上がってるっていう感じなんですよね(笑)。
私:俺も右京も同じような配信者が好きだし、目指す空気が近いから、右京の配信を見ていて心地いいよ。俺らの配信って、まるでミュージシャンの配信じゃない(笑)。視聴者は基本的にタメ口だし、どっちかというとニコ生みたいな感じ。そうなるのも、結局、自分たちの曲をどういう人に聴いてほしいか? と考えたときに、やっぱり、自分に近い人たちに聴いてほしいっていうのがあるから。自分がそうだからわかるけど、外にそんなに出ません、人混みや大きな音が苦手だからライブハウスにも行けませんっていう、黙殺されてきてしまっている人たちがいるんだよね。自分の配信が、そういう人たちの居場所になればいいなと思う。
右京:居場所を作りたい、ね……。そこまでの意識は自分にはなかったかもなあ。
私:どっちかというと、“自分の居場所を作りたい”っていう感じかな。そうすることで、同じはぐれ者たちが集まってきたっていう。でも、例えば「昔、ニコニコ動画で観たMADでどうしても思い出せないやつがある」とか、「一コマだけ強烈に覚えている漫画があるんだけど、なんの漫画か思い出せない」とか、そういう話をするとリスナーの人たちがそれを探してきてくれたりして。そういうことがあると、脳汁めっちゃ出るんだよね(笑)。俺はどちらかというとニッチな漫画やアニメを通ってきているから、「小林私なら、この話わかるんじゃないか?」っていう感じで話題を振ってくるリスナーもいて。「小林、これ知ってる?」「知ってる知ってる!」みたいな(笑)。そういうやりとりをしていくと、どんどんと魂が浄化されていくような感覚がある。
右京:腐ったオタクの魂がね(笑)。
私:そうそう(笑)。前に大学の先輩に言われたのが、「(生配信は)一種のセラピーだよ」って(笑)。自分ではそこまでは思わないけど、でも生配信という場所は、お互い人に見せちゃいけないと思っている気持ちの悪い部分を、“ここなら吐き出してもいい”と思える場所なんだなと思う。だから俺の配信のコメント欄では「何言ってもいいよ」と言っていて。クラスでひとりしかいないオタクが周りに馴染めなかったけど、インターネットに触れてみたら同じようなやつらがいっぱいいた……そういう喜びがネットの原体験としてある人は多いと思うし、その感覚は残しておきたいですね。
■ふたりにとっての音楽活動とは
──右京さんは、この先教員としても働かれていくということを公言されていますよね。実際、教育実習に行かれていた期間は活動も休まれていましたし。この先はどのような形で活動されていく予定ですか?
右京:自分は非常に現実的な考え方をしているというか。音楽でご飯が食べれるとは、そんなに思っていないんですよ。これは一生、変わらないスタンスだと思います。地に足を着けて活動していくにはどんな仕事が向いているかなと本気で考えたときに、教育の仕事は、自分は小学校の頃から憧れてきた夢なので。教育なら、音楽と同じくらいの熱を持って仕事できるなと思うんです。
私:そのスタンスは、俺たちは近いと思う。どうしても音楽でプロになりたいわけでもないっていう。だって、金をもらおうがもらえなかろうが、どうせ音楽は作るじゃん。
右京:そうそう。一生、音楽は作っていくから。
私:俺は絵も描いていくだろうし。それができていれば、バイト暮らしでも全然いい。
右京:音楽に関係ないことでも、やっていれば表現の糧になっていくだろうしね、我々は。
──裏を返すと、他に何をしていても、お金にならなくても、音楽は絶対に作り続けるだろうという意識が、おふたりにはあるということですよね。
右京:そうですね。何かしら自分で作っていく趣味がないと、人生寂しいなって思うから。
私:そうそう、寂しいよね。
──漠然とした質問になってしまいますが、この先の人生の目標はありますか?
右京:やっぱり、一生音楽やっていきたいです。もしお金が溜まったら、ちょっとはずれた所に自分の住居兼スタジオを作ったりしたい。そこに引きこもって、音楽を作ったり配信をやっていける環境を作りたい。
私:俺は最終的に、フルリモートにして山梨に住みたい。
右京:山梨?
私:俺最近、キャンプ好きだから。この間も、“ちょっとキャンプ行っちゃおう”と思い立って、ひとりでキャンプ行ったんだよ。
右京:結局、ひとりが好きなんだよなあ……。オタクあるあるですね(笑)。
プロフィール
小林右京
コバヤシウキョウ/楽器をすべて演奏するマルチミュージシャン、ユーチューバー。1999年、名古屋市生まれ。大学1年生で出演した『NHKのど自慢』本戦でのスピッツ「チェリー」のパフォーマンスがネットで話題に。その後、2020年末~2021年夏にかけて開催された『THE FIRST TAKE STAGE』のセミファイナリストに選ばれ、弾き語りでパフォーマンスされた「顔が良いやつは音楽をやるな」が100万回再生を記録。新感覚シンガーソングライターとして注目を集める。
小林私
コバヤシワタシ/アーティスト、シンガーソングライター。1999年、東京都あきる野市生まれ。高校進学後に音楽活動を開始。その後、多摩美術大学絵画学科油画専攻に進学。音楽活動の一環としてYouTubeで楽曲発表を続け、チャンネル登録者数は13万人を超える。2020年にeasy revenge recordsより1st シングル「生活」、今年1月に1stアルバム『健康を患う』、6月に映画『さよなら グッド・バイ』の主題歌を表題曲とする配信作品「後付」をリリース。
リリース情報
小林右京
2021.11.03 ON SALE
DIGITAL SINGLE「顔が良いやつは音楽をやるな」
リリース情報
小林私
2021.06.30 ON SALE
DIGITAL EP「後付」
小林右京 OFFICIAL SITE
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