OKAMOTO’Sが、約2年8ヵ月ぶりのフルアルバム『KNO WHERE』をリリースした。全17曲収録という大ボリュームの中に、2021年を生きるロックバンドとしての嘘偽りないリアルとロマンを色濃く刻んだ充実の一作だが、ここに辿り着くためには、10周年を経ての制作環境の変化や、それが生み出した結成以来の困難もあったという。メンバー全員インタビュー、話はアルバムの話題で始まり、いつしか、“生き方”についてへと至った。
INTERVIEW & TEXT BY 天野史彬
PHOTO BY 関信行
HAIR & MAKE UP BY Taro Yoshida(W)
■バンドとして新しいフェーズに入って完成した
──新作『KNO WHERE』、全17曲収録という大ボリュームなアルバムですが、曲調も音像も多彩で、その濃密な作品性に触れることでOKAMOTO’Sの存在をとても“近く”感じることができるアルバムだと思いました。まず、制作を始める段階で見据えられていたゴールなどはあったのでしょうか?
オカモトショウ(以下、ショウ):一応、10周年を終えて最初のアルバムなんですけど、なんのゴールもなく作り始めたんですよね。流れとしては、『HELLO WORLD』のサントラ(2019年)を作ったとき、それまでみたいに俺とコウキが別々にデモを録るんじゃなく、コウキの家に集まってふたりで曲を書くことを始めて。それが結成から10年を経て初めての試みだったんですけど、結果としてすごく楽しかったんですよ。“この形でOKAMOTO’Sの曲も書いてみよう”となり、締め切りもない状態で、ふたりで曲を書き始めた。それが発端としてありました。締め切りがない状態で曲を書くのも、この10年で初めてで。
──それは、ショウさんが望んでいた制作環境でもあったということですか?
ショウ:そうですね。なんだかんだ、ずっと背中を追われて曲を書いてきたんです。忙しくさせてもらえていたのはありがたいけど、ずっと思っていたのは、締め切りがあるから作るんじゃなく、ふと浮かんで、パッと作って、“いいね”となって、それが盛り上がって曲になっていく──そういうほうが自然だし健康的だなって。心のどこかで“不自然な状態でやってるな”っていう感覚もあったんですよね。でも、それが3年くらい前から締め切りなしで曲を作り始めて、結果、40曲くらい出来た。今回のアルバムは、その中から厳選された17曲です。
──どういった基準で17曲に厳選していったんですか?
オカモトコウキ(以下、コウキ):最初はどう取捨選択したらいいのか全然わからなくて。アンケートをとってそれぞれ5曲ずつ選んだりもしたんですけど、それぞれのチョイスも全然違うし、それぞれの価値観もよくわかるし、決めきれなくて。結局は、今回一緒にやっているニューヨークチームのタダシ(Tadashi James Beddie)の意見とショウさんの意見を取って、「Young Japanese」を中心に“この曲を補強したり、説明するならどれが合うだろう?”っていう感じで考えました。「Young Japanese」に対して「『Sprite』みたいなどっしりとしたバラードはほしいよな」とか「『When the Music’s Over』みたいな、がっつりバンドで演奏してる曲もほしいな」みたいな感じで。
ショウ:「Young Japanese」は俺とコウキが一緒にデモを作り始めてから最初に作った曲で、仮タイトルは“One”だったんです。作り始めてから2~3年の間、メンバーでも合わせたし、タダシにも入ってもらったり、寝かしたりいじったりを繰り返して。とにかくこの曲には手応えがあったんですよね。なので、この曲を軸にコンセプトを考えようっていうのはありました。
──17曲を選ぶ段階で、アルバム全体のムードとして自分たちで狙ったものはありましたか?
ショウ:“2021年のロックバンドのアルバムにしたい”っていうことは考えてました。この2021年に“今だからロックってこうだよね”、“バンドの音楽ってこうあるべきだよね”と思ってもらえるアルバムを作りたかった。ただ、今はヒットの法則的な指針がないし、むしろ、そこを探っている感じが“今っぽい”という側面もある。じゃあ、そういうなかで何が大事かといったら、自分たちがわかっていること、知っていることを、嘘偽りなくちゃんと出すことだなと思ったんです。なので、(Giorgio Blaise) Givvnっていう10年来の付き合いのラッパーでありプロデューサーを迎えた「Pink Moon」や「M」のような挑戦的な曲もあるし、ここ最近照れちゃっていた「MC5」や「Blow Your Mind」みたいなロックくさい曲も目を背けずに、“こういうの好きだったじゃん”って入れた。自分たちの新旧をちゃんと織り交ぜることができたなと思うし、これがちゃんと“2021年のバンド音楽のいちばんカッコいい形”みたいになったらいいなと思ってますね。
──曲作りの話に戻ると、ハマさんとレイジさんとしては、コウキさんとショウさんがふたりでデモを作って出していくモードに変わり、どういった変化を感じましたか?
オカモトレイジ(以下、レイジ):デモのレベルが上がったんですよ。ただそのぶん、いい面も悪い面もあって。デモどおりにそのまま叩き直すのは簡単だけど、自分はメンバーとして“何か新しいものを入れたほうがいいのかな?”とも思ったり。そこの判断が、すげえ難しかったです。
ハマ・オカモト(以下、ハマ):こっちに対して丸投げの部分が減ったんですよね。ショウとコウキのふたりで詰める時間が長くなったことで、デモの精度も上がった。それはいいんだけど、そうなると今まで現場で俺やレイジがアイデアをポッと出していたのが、デモの段階ですでに完成形まで出来ていることも多くなってきて。もちろん、そのデモよりいいアイデアが思いつかないのならデモをなぞったほうがいいと思うけど、妥協感が自分の中で生まれちゃうのは避けたいから、“なんとか一石投じたい”みたいな気持ちも生まれる。例えばベースで言うと、「Pink Moon」や「Young Japanese」は何回も録り直すことで独自に生まれたフレーズが結構あったりするけど、片や「Band Music」のリフレインするリフみたいなベースは自分ではひらめかないものだったりするんです。そういう部分の判断が難しかったんですよね。
──なるほど。デモの段階ですでにショウさんとコウキさんの意見が反映されているし、ハマさんとレイジさんにとっては以前よりアプローチが難しくなった。
ハマ:そこは大変だったし、新しいフェーズに入った感じはありました。ハードルは上がりましたね、こっちからすると。
ショウ:今の話って、俺やコウキの間でもまだちょっと迷っているところでもあって。
コウキ:そうだね。とりあえず、このやり方で作ってみたけど、この先どうなるかはわからない。
ショウ:今回のやり方だと、デモの段階で俺たちが考えれば考えるほど良くなっていく部分はもちろんあるけど、同時に、ふたり(ハマ、レイジ)にとっては自由度がどんどんなくなっていく部分もあるから、すごく難しい。“デモに忠実な演奏が理想なので、そのとおりにやってください”という感じにはしたくないけど、俺の場合はもともとひとりでデモを作っていたところからふたりで作るようになって、曲作りに対する気持ちがすごくラクになったし、自由になったんですよ。
レイジ:思い返すと、最初の頃のデモはタンバリンと弾き語りとかだったから。
ショウ:そうよ。その頃と比べると、コウキと一緒に作るようになって、デモとしての自由度と質は上がった。ただ、前までのデモは俺ひとりの世界だったから、みんなから違う意見が入ってきて変わることに抵抗がなかったんです。俺は、自分にそこまで自信がないから。でも、今はコウキとふたりで作り込んでいるぶん、ちょっとは我も出てくる。“思い返せば、自分のデモの我を通したことあったっけ?”みたいになってくると、“ここは我を通して、その提案、俺はイヤだ”って言ってみたほうがいいんじゃないか?と。でも、俺はそもそもメンバーの意見を聞くのは得意だけど、否定するのは苦手だから、否定しきれず自分の中でクラッシュしちゃって、レコーディングスタジオに行けなくなったこともあって。
──そういうことは、これまではなかったことだったんですか?
ショウ:今回が初めてでした。なので、結構大変でしたね。みんながっていうか、俺が勝手にいろんな想いの板挟みになっちゃっただけなんですけど。ただ、一曲一曲を録り終えての手応えは今まで以上にあったんです、今回は。完成させたはいいけど“これはちょっとな”と思ってしまうような曲がなかった。そうでないと、17曲も入ったアルバムにはならなかったと思うし。長くバンドをやっていきたいからこそ抱えたものが、今回の俺らにはあったんだと思うんですけど、でも、それをちゃんと乗り越えて、ここで、こうやって4人で話せるぐらいの余裕はある。それは、いろんなことをアルバムに吐き出せたからだろうなと思うし。結構、大事な一枚になったと思いますね。今回を経て、OKAMOTO’Sはよりバンドっぽくなっていってるんじゃないかなとは思います。
ハマ:バンドっぽいよね、すごく。同じ軸の上で、微々たるものだけど変化しながら、制作方法もどんどんと研ぎ澄まされていっていると思う。コロナ期間というのもあって、時間が取れて制作に向き合えたのも、結果として良かったなと思うし。“12年目で何言ってんだ”って話ですけど、今回のレコーディングを経て、メンバー同士でお互いのことや自分のことがわかった部分もあって。俺は今回のアルバム、過去最高に客観的に聴けているんです。改めて自分たちの音は特徴的だなと思うし、綺麗事すぎるかもしれないけど、言葉にできないものがあるなと思いました。この感じを言葉で形容するのは本当に難しいけど、でも、とにかく“バンドだな”っていう感じはする。客観的に聴いて、“いないもんな、こういう感じの人たち”と思うし。
──そう思います。今作はサウンドプロダクションに新鮮さを感じる部分も多いですけど、そういう変化を感じたうえでも、“一発録りでやっていた初期の頃と、捉えたいものは変わらないんだろうな”と思わせるものがあって。OKAMOTO’Sは変わらないために変化し続けているバンドなんだと思うし、そういうことがリアルに感じられる作品だなと思います。
ハマ:……これ、全然関係ない話ですけど、こういう取材でメンバーの関係性の変化みたいなことを聞かれたときに、今までは手を変え品を変え話してきましたけど、普通に、ただただまっすぐにお互いを褒めたらいいんじゃないかっていう話を、この間コウキがしていて。
コウキ:そうそう、最近そう思ってる。“10年やってきて関係性は変わりましたか?”って、“いや、もうこの4人が最高なんです!”って(笑)。それしかないじゃんって思う。
ハマ:そういうことでしかないんですよね。このアルバムを作って、斜に構える必要もなくなったというか。“最高ですよ、うちのメンバー”みたいな。“めちゃくちゃ好きですよ”って。なんかもう、それでいいんじゃないかっていう感じがするんですよね(笑)。
レイジ:めちゃくちゃ好きだもんね。“最高だから一緒にバンドやってんじゃん”って(笑)。
ショウ:もうね、OKAMOTO’Sのメンバーが人間の中でいちばん好き(笑)。
全員:(笑)。
ハマ:ここにきて“これだよな”って感じがあるんですよね。
■それぞれにとってのOKAMOTO’S=バンドの存在
──バンドというのは本当に不思議な空間で、“バンドには、バンドの内部にいる人にしかわからない時間の流れがあるんだろうな”と、お話を聞いていて思いました。今、人生や生活の中に“ロックバンド”という空間があることは、皆さんに何をもたらしていますか?
ショウ:コロナの流行り始めの頃、“かかったらどうなっちゃうかわからない”みたいな時期もあったじゃないですか。そういう時期に“メンバーが死んじゃったらどうしよう”みたいなことを一瞬考えたりもしたんですけど、俺は“OKAMOTO’Sがない”っていう状態で一日を過ごした経験がなさすぎて、ちょっと想像できなかったんです。そういうところから「Sprite」の歌詞が出てきたりして。“やりたいことなんてなくてもいい やらずにいられないからやるんだ/好きに生きて好きに死ねるなら 魂も差し出すよ”っていう。この歌詞、すごくOKAMOTO’Sっぽい感じがするんです。OKAMOTO’Sってメッセージありきでやっているバンドじゃないんですよ。音楽が好きで、この4人で演奏するのが好きだからやっているバンドで。この歌詞を書くときにコウキとも話したんです、“とにかく好きなものがあるって超強いよね”って。“バンドがないなんて考えられない”くらいの状態になれること自体がすごい強度だし、そうでしかあれないからこそ、俺らは10年間やってきたし。俺にとって、バンドってそういうものだなと思います。
──今言っていただいた「Sprite」もそうですし、例えば「Band Music」の“ステージを降りて誰にも見られずに/自分だけのために踊り狂える/そんな人たちが美しくて/でかい音で扉をぶち壊す”というラインとか、今作の歌詞には“自分がバンドマンであるということは、どういうことなのか”ということが綴られているように思えてきますね。
ショウ:そうですね。「Picasso」の“Picassoになればいいんだろう きっとそうだろう/誰にでも描けそうな 誰も描けない絵を書きたい”っていう歌詞とかもそう。自分のバンドに対する根本的な想いが、このアルバムでは歌詞にパンチラインとして落とし込めた実感もありますね。
──ハマさんはどうですか? 自分の生活にバンドがあるということは、どういうことなのか。
ハマ:俺にとっては、バンドは“甘え”ですね。俺が“バンドマンなんで”と言うときって、“これ以上のことはできませんよ、プロじゃないんで”みたいな含みを持たせている節もあって。それはバンドの外でやっている司会業の場でもそうだし、もっと言うと、スタジオミュージシャンとして飯を食っている方もいっぱいいるなかで、僕はコードもろくにわかっていないし、五線譜を渡されても弾けない。だから、そういうものを求められると“ごめんなさい”って言うんですけど、それってつまり、“俺、ロックバンドの人間なんで”っていうことなんですよね。そういう意味で、バンドは“帰るところ”でもあるし、“芸名”でもあるし、“甘え”です。“甘え”っていう言葉自体はマイナスに響くかもしれないけど、甘えられる場所があるって、いいことでもあると思うんです。精神的な支柱があるっていうことだから。年々思いますけど、バンドをやっているのって、見えない何かに縋ってる感じが強くある。許されている感じがあるというか。
──コウキさんはどうですか?
コウキ:僕はOKAMOTO’Sっていう団体がひとつの会社みたいにあって、そこに所属しているっていうイメージです。なので、自分のソロ活動や勉強したりして得たことは会社の中で発揮していかないと、会社の業績自体が伸びないだろうと思うし、自分の立場的にも、所属している会社が大きくなったほうがいい。でも逆に、会社の業績を伸ばすことに熱中しすぎると自分のメンタルがよくなくなってしまう可能性もあるので、“べつに、会社が倒産しても自分が死ぬわけじゃないしな”とも思ってますね。
ハマ:さすが、公務員になりたかっただけあるよね。会社っていうのは、平なの? 上司がいるの? どういう立場なの、君は?(笑)
コウキ:平だよ(笑)。でも会社といっても、OKAMOTO’Sはどちらかというと老舗の商店とか、伝統工芸のツボを作っている工房みたいなイメージ。そこで働いていることにプライドがあるし、文化として守っていかなきゃいけないものがある、みたいな。
ハマ:たまに冗談半分で言い聞かせるもんね、“こんなことやってるの、もう俺らぐらいしかいないよね”みたいな。こういうロック感とかバンド感って、みんなもうやらなくなっちゃったから、俺らが辞めたら終わっちゃうよって。
──レイジさんはどうですか? レイジさんも、バンド外での活動が多いですよね。
レイジ:俺は“バンドでドラムをやっている”っていうのが主軸にあるから、それ以外のことは結構どうでもいいんです、実は。バンド以外のことがポシャってもなんのダメージもないからこそ、好奇心と持ち前のフットワークでいろいろ挑戦しているだけで、バンドがそもそもの軸になっているのは間違いない。あと、同期のバンドもほとんど解散しているし、続いているバンドもボーカル以外全員メンバーチェンジしてたりもするし、俺らより全然早く売れて、でも早く解散しちゃったバンドもいる。そういうのを近くで見てきたので、“売れることが成功じゃない”って思いますね、最近は。これは言い訳とかじゃなくて、マジで。だって、解散しちゃって終わっちゃったら、普通に寂しいじゃないですか。だから、今の俺らの存在自体は成功だと思うし、それが誰かの希望になっているとまでは言わないけど、俺らが続けること自体にめちゃくちゃ意味があるなって思ってます。
ハマ:お手本もいないし、独自の道を拓き過ぎちゃったんでね。自分たちで自分たちのケツを拭っていくしかない。“頑張って続けます”っていうのがいちばんの答えだよね、今のところは。
レイジ:そう。俺は父親もバンドマンだし、近場で見てきたぶん、“バンドってすげーシビアだな”と思うんですよ。意地になって続ければいいってもんじゃないこともわかるし。だからこそ、ずーっと、じわじわとでも、健康的に続くのがベストだなと思ってます。もちろん、この先ヒットがバーンときて売れたらうれしいですけど、それで歯車が狂うくらいなら、今のペースでずっと、微々たる右肩上がりが続けばいいなと思ってる。“国民的ヒットを作るぞ”って必死になることも美しいと思いますけどね。でも、それと同じように、コロナでライブができないなかで、ボーっとしながら、だけど音楽で生活できている状態もそれはそれで美しいし、音楽を続けるために頑張って他の仕事して、2~3人の客を前にステージに立ち続けることも美しいことだと思う。“続けている”ということは、どういう姿勢であっても美しいと思うんですよ。
ハマ:そういう部分は、“生きていく”っていうことと同じだよね。
──アルバムの最後を飾る「For You」には、“傷つけちゃいけないものを傷つけて それでも辞められず夢中で/逃げながらもただやり続けてた”という歌詞がありますけど、今のお話と通じるものを感じます。
ショウ:「For You」の歌詞って、俺が書いたものではあるけど、この4人のことでもあるような歌詞なんですよね。OKAMOTO’Sの人間性みたいなものが全面に出ている。そういう意味で、「For You」は新鮮な発見だった。そもそもアルバムが濃厚すぎて、“どういうふうに落としどころをつけよう?”となったときに、例えば井上陽水の『ハンサムボーイ』に「少年時代」が入っている感じで、“このアルバムにこの曲が入ってるんだ!”と言われるような名曲があるとアルバムも締まるよねっていう話をコウキとしていて。そういうところから書き始めたのが「For You」だったんです。これまでのOKAMOTO’Sは音楽的な驚きや発明を求めてきたけど、「For You」にはそういうものがほぼない、オーソドックスな作りの曲で。もっと派手な服を着ていたんです、“服がカッコいいほうがいいでしょ?”っていう感じで今まではやってきた。でも「For You」は白Tデニムで喋ってる感じだし、そっちのほうが言ってることがすんなり入ってくるんだなって。この曲はもう、すっぴんみたいな感じなんですよね。
──「For You」は本当に曲も歌詞もシンプルだなと思いました。しかも、すごく他者に向けられているような印象もあって。
ショウ:“あなたの人生の1ページに 俺の言葉1つ残せるなら/その為に一生掛けてもいいな”っていうフレーズが、17曲も入っているアルバムの最後の最後に出てきた、吐き出せたことは、俺の音楽家としての音楽人生、未来は明るい気がしています。
■OKAMOTO’SのDNAを残すこと、音楽をやり続ける意味
──今回の作品のショウさんの歌詞を見ていると、歌が生まれて、それを聴いてもらうという、音楽家としてすごくシンプルなことだけど、それをすごく強く求めているんだなと改めて感じたんです。その欲求は、自分の中にどういうふうにあり続けるものだと思いますか?
ショウ:そういうことはいつも考えていて。音楽だけじゃなく映画でもなんでも、人が何かを表現したり、作ったりする、“それって、なんでなんだろう?”と思っていたんです。もちろん人それぞれいろんな理由があると思うんですけど、自分に関して1個気づいたのは、これって、生き物としての本能みたいなものなんだなっていうことで。表現をするのって、子孫を残したり、自分のDNAを地球に残そうとすることと一緒だと思うんですよ。生物的なDNAを残すために子供を産むっていう行為があるのだとしたら、作品を作ることや表現をすることは、社会的に自分のDNAを残そうとすることなのかなって。
──なるほど。
ショウ:カッコつけてるようだけど、すごく簡単な話で。例えば同級生と同窓会で久しぶりに会って、「そういえば、俺が体育の授業で転んだときさ、お前だけが駆け寄って俺のこと起こしてくれたよね。なんか、すげーそのときのこと覚えてるんだよね」と言われたとして、その時点で、自分の社会的なDNAはそいつの中に残っているんだと思うんです。“俺って生きていたんだ、ここで”っていうものが、残っている。そういう次元の話なんだと思う、俺にとって作品を作ることは。そうやって人は自分が生きていたこと、存在していたことを誰かの中に残し続けていかないと、消えていっちゃう。俺はたぶん、それを残したくてバンドをやっているんだろうなと思います。OKAMOTO’Sを小学生、中学生ぐらいで聴いていた人が、いつか自分の子供が産まれて、家でOKAMOTO’SのCDをかけて子供に「お母さんね、昔これ好きだったのよ」と言ったとしたら、もうその時点でひとつ世代を跨いで自分の存在が残ることになるじゃないですか。そういうことを求めているんだろうなって思うし、そのためなら一生かけてもいいなって思うんですよ。OKAMOTO’Sという存在を残したい。今言ったことは、自分が偉大なミュージシャンたちからエネルギーをもらって生きてきたからこそ、感じることでもあると思うんですけどね。
レイジ:そうだね。チャーリー・ワッツが死んで悲しかったけど、そもそも会ったこともない人の死がここまで悲しいって、ヤバいことなんだと思う。
ハマ:俺もリー・ペリーが死んでショックだったけど、親戚の訃報とかよりもダメージがデカいって、よく考えると大変なことですよね。人間ならではなことだとも思う。愛着とか想いとか記憶に付随しているんだよなって、すごく思う。少なくとも、我々のこともそうやって思ってくれている人はいるんだろうし。
──最後に、『KNO WHERE』というアルバムタイトルはどういった経緯で付けられたんですか?
ショウ:そもそもアルバムタイトルも“Young Japanese”でいいかなと思っていたんですけど、もうひと捻りほしいなと思って。「Young Japanese」のEnglishバージョンの中に“We don’t know where we’re going but we know where we’ve been”っていう一節があるんです。“俺たちがこれからどこへ行くかはわからない。けど、俺たちがどこにいたのか、俺たちが何者なのかは、よくわかっている”っていう。その一節が俺的に、「Young Japanese」という存在を言い表しているような気がして。ちょっと冷めた客観的な視点を持ちながらも、“ここから先、どうなるかわからない”っていう感覚をずっと抱いている。それは今のコロナの状況もあるし、1990年代以降の暗い日本を先が見えないなかで生きてきたっていう感覚もある。でも、“自分たちがどこから来て、何者なのかはわかっているんだ”っていう。それがすごくリアルなひと言だなと思って、縮めた造語にしました。“どこでもない場所=NOWHERE”であり、“今ここ=NOW HERE”であり、“今ここを知っている=KNOW NOW HERE”であり、“どこか知っている場所=KNOW WHERE”でもあり。それと同時に、これは日本語読みですけど、“苦悩=KNO”して作ったアルバムでもあるし。いろんな意味が、この言葉に凝縮できていいなと思って。
──「90’S TOKYO BOYS」や、前作のタイトル『BOY』もそうでしたけど、OKAMOTO’Sは、時代感や目に見えていないものも含めて、“自分たちは何者なのか?”ということをその時々で言語化し、定義付けますよね。
ショウ:そうあればいいなと思っていますね。「Young Japanese」に関して言うと、デヴィッド・ボウイの『Young Americans』もあるし、ロックの頓智も効きつつだけど、そこまで考え込んで出した言葉でもなかったんです。こねくり回して“俺たちはこれだ!”と言ったって失敗するだけだと思うから、肩の力の抜けた状態で“俺たちって、Young Japaneseじゃね?”くらいの感じ。そのくらい、自分たちの嘘偽りない何かを考えて出てきた言葉だったんですよね。
プロフィール
OKAMOTO’S
オカモトズ/中学からの同級生4人により結成。2010年に『SXSW2010』への出演を皮切りに、オーストラリア、ベトナム、台湾、韓国、中国など、日本国外でも多数のライブを行っている。2020年の10周年には初の日本武道館公演を成功させる。それぞれソロでの音楽活動、ラジオDJや番組MC、他アーティストのサポートなど、活動は多岐にわたる。メンバーは、オカモトショウ(Vo)、オカモトコウキ(Gu)、ハマ・オカモト(Ba)、オカモトレイジ(Dr)。
リリース情報
2021.09.29 ON SALE
ALBUM『KNO WHERE』
ライブ情報
OKAMOTO’S LIVE TOUR 2021“KNO WHERE”
10/08(金)KT Zepp Yokohama
10/16(土)高知X-pt.
10/17(日)高松MONSTER
10/19(火)神戸VARIT.
10/22(金)CAPARVO HALL
10/24(日)DRUM LOGOS
10/30(土)岐阜 clubG
10/31(日)金沢エイトホール
11/05(金)仙台Rensa
11/06(土)盛岡CLUB CHANGE WAVE
11/13(土)岡山CRAZYMAMA KINGDOM
11/14(日)広島LIVE VANQUISH
11/23(火)名古屋 DIAMOND HALL
11/24(水)心斎橋BIGCAT
11/27(土)PENNY LANE 24
11/28(日)PENNY LANE 24
12/01(水)Zepp Haneda
12/02(木)Zepp Haneda
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