2021年9月1日に初のアルバム『the meaning of life』をリリースしたyama。2020年4月に発表した初のオリジナル楽曲「春を告げる」をきっかけにたくさんの人の胸を掴んだその歌声は、いよいよその本領を発揮しようとしている。そして、ネットを拠点に注目を広げてきたyamaのシンガーとしての表現領域も、さらなる広がりを見せようとしている。
アルバムについて、歌うことについて、そしてライブやフェスへの出演を経て変わってきたyama自身のシンガーとしてのアイデンティティについて、語ってもらった。
INTERVIEW & TEXT BY 柴那典
PHOTO BY 中野敬久
HAIR & MAKE UP BY 大海良太(ICY)
STYLING BY 服部昌孝
■1年間の集大成。音楽と向き合い、踏み出す決意を込めたアルバム
──まずはアルバム『the meaning of life』が完成し、リリースされて、どんな実感がありますか?
これまでデジタル音源を配信してきましたけど、実際にひとつの形としてアルバムを発売できていることは感慨深いです。SNSを見ると「届きました」と写真をあげてくださっている方もいらっしゃって。本当に届いているんだなって実感して。素直にうれしい気持ちです。
──これまでの歩みの集大成がファーストステップとして形になったという実感もありますか。
そうですね。メジャーデビューしてからの1年間を集約したような、集大成とも言えるアルバムになっているなとは感じています。
──yamaさんがアルバムの中で思い入れの強い楽曲は?
どれも思い入れは強いんですけれど、やっぱり真新しい記憶として残っているのは新曲の3曲ですね。「ランニングアウト」、「希望論」、「天色」の3曲には気持ちがより入っていると思います。
──メジャーデビューからの1年間でいろんなことが大きく変わったと思うんですが、振り返ってどんな実感がありますか?
メジャーデビューした直後ぐらいは人前に出ることに慣れていなくて。こういうふうにお話しするのも難しいぐらい、抵抗感があったんです。でもそれ以上に、ライブとかいろんな経験を経て、もっと積極的に歌いたいと感じるようになりました。それまで実際にファンの皆さんを目にすることもなかったので、徐々に自分のマインドも切り替わっていって。アーティストとしてちゃんと独り立ちしたいと感じるようになっています。
──アルバムは『the meaning of life』というタイトルですが、そういうお話を聞くと、このタイミングで“人生の意味”という言葉を冠した作品を作るというのは、とても象徴的なことになったんじゃないかと思うんです。yamaさんとして、改めてこのタイトルに込めた想いにはどんなものがありますか?
このタイトルを付けるときは、すごく悩んだんです。アルバムタイトルがあってそれに向かって曲を作っていったわけじゃなく、その時その時でタイアップに寄り添った曲や自分が歌いたい曲をリリースしてきたので、タイトルを付けるのがすごく難しいと思っていて。でも、これからも音楽一本でお仕事をしていきたいという想いが根底にあって。それを続けていくには、ちゃんと音楽に向き合っていくんだって、このタイトルを付けることで踏み出したかった。自分の中での決意表明というか、もう逃げないぞっていう想いを込めたくてこのタイトルを付けました。
──このタイトルを付けたことで、例えば5年後、10年後に振り返ったときにより大きな意味を持つような感じもありますか?
本当にそうですね。スタートっていうイメージもあるので。振り返ったときに“あ、ここから自分は歩んできたんだ”っていう軌跡にもしたかったので。そういう意味はありますね。
■自分のために。聴いてくれる人のために
──振り返って、yamaさんにとって歌うことの原点はどういうものだったんでしょうか?
もともと歌うこと自体は自分の身近にあったことで、物心つく前からずっとそばにあったんです。でも、それが趣味の枠を超えて自分の中でより大きくなったのは、yamaという名前でオリジナル曲を投稿したときからですね。そこで切り替わったと思います。
──それ以前とそれ以降で、どんな違いがあった感じですか?
それ以前は、自分の表現方法が歌しかなかったので。誰かに聴かせるというより、自分が表現したいものを誰にも左右されずに好きにやるっていうイメージで歌っていたんです。それ以降は自分の曲を聴いて、共感を感じたり、元気になったりした方たちがたくさんいるということを知ったので。そういう人たちに向けても、背中を押せるような、寄り添えるような曲を届けたいと思うようになりました。だから、今は自分のためでありつつ、聴いてくれる人のためにも歌っているかなと思います。
──さらに遡って、そもそもインターネットに自分の歌を発表するようになったきっかけは?
大きなきっかけというのはなかったです。自己満足というか、自分で好きにやってきた宅録した音源をアップロードしてみて、数人でもいいから誰かが聴いてくれて、好きになってくれる人がいたらいいなという、本当に軽い気持ちで始めました。
──おそらく、その頃からyamaさんの中で、自分にとって何がいい歌なのかという感覚がハッキリとあって、それが軸になっているんじゃないかと思うんです。よく言われる歌のうまさと違ったところに価値基準があって、それがyamaさんの歌の表現の独特さに繋がっているような気もするんですけど、この辺りはどんな感じで意識していましたか?
こだわりは強いほうですね。細かいニュアンスの違いも意識して、最初から最後まで自分なりに考えてレコーディングしているので。そこはたしかに人と違うかもしれないなと思うんですけど。でも、それを明確には答えられない自分がいて。結構フィーリングで決めている部分が大きいんです。技術はあまり気にしていなくて、むしろニュアンスをすごく大事にしています。
──聴いていて感じるのは、自己主張の強い歌というより、精巧な彫刻を作っているというか、作品主義な感じがするんですけれども。
そうですね。ボーカルがメインではあるんですけど、自分の歌声は曲の中の構成要素のひとつというイメージで。色を出しすぎないように、曲の一部になれるようにと思って歌っているので、そういうふうに感じられるのかなと思います。
■“これがやりたかったんだ”と思えた「春を告げる」
──ボカロカルチャーとの出会いはどんな感じだったんでしょうか?
中学生ぐらいにボーカロイドという文化があるのを知って。友達の間で流行っていて、教えてもらったんですけど、その中にもカバーする文化もあるっていうことを知って。ボーカロイドがオリジナル音源になるので、人間の声とは違って、ボーカルディレクションに正解がないんですね。自分でボーカルディレクションしながら歌えるというか。正解がないのが楽しいなと思って始めました。
──なるほど。シンガーソングライターやバンドが原曲だったら、その人の歌い回しがオリジナルになる。
そうですね。それがないので、自分が歌い方もイチからアプローチできるのが楽しかったというのがありました。聴く人も自分が好きな歌い手さんを選べるわけですし、その中で自分を選んでくれたらうれしいと思っていて。いろんな正解があるのは面白いなと思います。
──そこから、カバーだけではなくオリジナルを歌うようになったのはどういう流れだったんでしょうか?
そもそもボーカロイドをカバーしていたのは、心のどこかで自分がオリジナルになりたいっていう想いがあったんです。人が歌っている曲をカバーするのではなく、機械の声をカバーし続けたっていうのはそういう意味もあったので。いつかオリジナル曲を歌いたいとは思っていました。でも、なかなか一歩踏み出せずにいたんですけど、そのタイミングで出してみたいなっていうのもあって。オリジナル曲を出すことにしました。
──「春を告げる」を発表しての手応えはどうでした?
“これがやりたかったんだ”って思いましたし、アップロードして、意外にもたくさんの人が聴いてくださったのに、すごく驚きました。それまでは踏み出せずにいたけれど、これからもやっぱりオリジナル曲を出し続けたいなって思うきっかけにはなりましたね。
──「春を告げる」という曲は、例えばタイアップとか、テレビの露出とか宣伝とか、そういうことなしに草の根で広がっていったわけですよね。これは曲の良さと歌の良さもさることながら、時代の空気にフィットするものがあったとか、いろんな要因があったと思うんですけれど。今振り返って、どんなふうに感じていますか?
おっしゃったように、時代の空気に合っていたのが大きかったのかもしれないなと思っています。自分自身、もともと「春を告げる」という曲に共感できるものが多かったんですけど、今のコロナ禍で、たくさんの人がちょっと内向きな感じで、いろいろとモヤモヤしたことを抱えているなかで、それぞれの人にフィットできる部分を持っていたんだろうなと感じています。あの曲で自分の存在を知ってくれた人もたくさんいたし、「気持ちが救われました」と言ってくださる方も結構いらっしゃって。それはありがたいし、やって良かったなと思いました。
──「春を告げる」の作詞作曲はくじらさんでしたが、アルバムでは様々なボカロPや作曲家が楽曲制作を手がけています。この辺りはどういう流れだったんでしょうか。
もともと最初の5曲、インディーズから出た曲はすべてくじらさんにお願いしていて。ただ、自分としては、いろいろな表現がしたかった。曲調も歌い方も含めてたくさんの振り幅を皆さんにお見せしたいと思っていたので、メジャーデビュー以降はいろいろな方にお願いをしました。曲調もかなりバラバラで、毎回違う表現ができるようにしてきた感じですね。
──アルバムでは「ランニングアウト」のようにアグレッシブな疾走感のある曲も増えてきたと思うのですが、そういうタイプの曲でも表現が変わってきたりしますか。
声が大きく変わったりとか、目に見えてわかるような違いはないと思うんですけど、気持ち的には、アグレッシブさに合わせて歌っているつもりではあるので。そのわずかな違いが表れているんじゃないかなっていうふうに信じています。
■価値観を共有する作業、ひとりで向き合う作業
──アルバムを聴いて感じたことなんですが、yamaさんの歌の在り方が少しずつ変わってきたような印象があるんです。誰もいないところでひとりで歌っているっていうより、聴いてくれる人と場を共有できる歌が増えてきたというか。メジャーデビュー後の変化としてはどう感じていますか?
たしかにそうかもしれないですね。そもそもレコーディングの仕方も違ってきて、信頼しているエンジニアと一緒に制作するようになって。そこからまず違うなと思っています。それまでは完全に自分だけでボーカルをレコーディングしていて。誰かのことを気にせず、自分が納得できるかどうかだけですべてを作ってきたんですけど、第三者からの意見を取り入れながら作品を作っていくようになった。より共有できる楽曲に仕上がっているのは、レコーディングの過程もあるのかなと思います。
──yamaさんの歌のこだわりや価値判断を汲み取る、共有するのって、なかなか難しいんじゃないかと思うんですが、どうですか?
かなり大変ですね。自分もなかなか言葉では伝えられないぐらいのニュアンスの違いを汲み取ってもらうのは難しいなと思っていて。でも、今一緒にやっているエンジニアさんとは、最初は歩幅を合わせるために様子を見ていた感じなんですけど、だんだん自分が求めている完成像をわかってくれるようになって。そのイメージを前提にしつつ「ここはこうしたらいいと思う」という第三者的な意見をくれるようになった。そこからうまくいくようになったと思います。
──エンジニアさんと一緒に制作するようになったというのが大きな変化だった。
ただ、ひとりで録るというメリットもあると思っていて。正直、エンジニアさんとやったほうが効率も良いし、より良くなるところがあるんですよね。それでも、自分ひとりで録ると、やっぱり歌に向き合わなきゃいけないので。やりきったときに必ず成長できる何かを得ていて。アルバムを作るにあたって、それにも挑戦したかったので。「ランニングアウト」と「希望論」という曲は改めてひとりで録ったんです。
──その曲をひとりで録ろうと思ったのは?
単純に、アップテンポで詰める箇所が多いので。難しい曲をひとりでやりたかったというのはあるかもしれないです。でも、結果的にはエンジニアさんと一緒にやったレコーディングとあまり大差がないと感じていて。それだけエンジニアさんと価値観の共有ができていたんだと学べたことでもありました。それは、今回録り終わって得たものだったかなと思います。
──「天色」はyamaさんご自身が作詞に携わっていますが、これはどういうふうにできていったんでしょうか。
このアルバムでやりたかったことが、今言ったひとりでレコーディングするということと、もうひとつ、作詞をしたいっていう想いがあって。自分が先に詞を書いて、それを作曲家さんに送って、一緒に作り上げた曲なんです。歌詞の内容的には、今の自分の、歌を歌って、音楽だけでお仕事をしているっていう状況が当たり前ではないこと、ファンやたくさんの支えてくれる人がいて、自分ひとりだけで立っていないなと感じているので、それが伝わればいいなと思って書きました。
──今のyamaさんの状況だったり、そこで感じた想いをきちんと言葉にしておこうという曲だった。
そうですね。ただ、自分のことすべてを投影しているというよりは、創作物に近いものにしたかったので。誰かの物語を自分が第三者視点で歌っているっていう感じにしたくて。自分も、聴いてくれた人も含めて、ちょっと背中を押してくれるような曲にできたらなと思って作りました。
──yamaさんの声が持つ、言葉にすると難しいですけど、ユニバーサルな感じというか。“誰でもないけれど、同時に誰でもある”みたいな不思議な感じがあって。この曲は、同じように自分のことを誰でもないと思う人にとって、すごく自分のものに感じられるような歌という気がするんですよね。
言葉にするのが難しかったんですけど、おっしゃったことは、そうかもしれないと思います。誰でもないんですけど、誰でもあるんですよね。そういう曲を書きたかったので、そう感じていただけたなら、自分の意図することがちゃんと伝わっているので、正解かもなと思います。
■人を目の前にして実感できるもの。可能性の広がり
──去年には『THE FIRST TAKE』にも出演されましたが、それはどういう経験でしたか?
『THE FIRST TAKE』のお話を最初にいただいたときは、出るかどうかすごく悩んでいて。それは、自分が仮面をして顔を隠しているので、ビジュアル的にもちょっと異質な面があって、そもそもそれが受け入れてもらえるのかどうかで悩んでいました。あとは、生歌唱自体も、完璧主義なところもあって自信がなかったんです。でも、一歩踏み出してみるっていうことが自分にとっては必要なのかもしれないと思って。これで失敗したら人前で歌うのをやめよう、やるしかないと思ってやりました。
──それが結果的にきっかけのひとつになった。
はい。すごく緊張していたなかで、なんとか歌えた曲だったんですけど、案外みんな受け入れてくれて。むしろ応援してくれる人も増えたので。そこからライブにも挑戦しようと思いました。
──ライブはどうでしたか? 配信、ワンマン、そしてフェスと、いろんなタイプのライブを経験されてきましたが、どんなことを感じましたか?
配信ライブは慣れてきました。お客さんがいないので、あんまり緊張しないんですよね。直接の視線を感じないので歌いやすいんです。でも、有観客で自分のライブをやったときは、めちゃくちゃ緊張してしまって、なかなか最初はうまくいかなかったです。でも、なんとか続けていくなかで、フェスに呼ばれて。『JAPAN JAM』というフェスに初めて出演したときに、自分が想像する以上のたくさんの人がいて。数千人だったので、地平線まで人がいるくらいに感じて。でも、不思議と緊張しなくて、むしろすごく気持ちよく歌えたんです。ステージに立ったときのその景色を見て“こんなにたくさんの人の前で歌えているんだ”って実感できて、すごくジーンときたんです。 “ライブって楽しいかもしれない”と感じるきっかけにもなった。そこから積極的になったというか、頑張ろうっていう想いが強くなりました。
──歌うという行為にコミュニケーションとしての新しい意味が加わったというか。
そうだと思います。実際に人を目の前にして実感できるものがたくさんあったと思います。
──このあとには全国ツアーも決まっていますが、ライブにはどんどん取り組んでいきたいと思っていますか?
そうですね。挑戦したいと思っています。それを経て、また変わっていくような可能性もあると思います。人というのは変わっていく生き物だと思うので。ライブやフェスを経験していくなかで、今以上にどんどん変わっていくし、楽曲自体も変わっていくのかなと思います。
プロフィール
yama
ヤマ/SNSを中心にネット上で注目を集める新世代シンガー。2018年よりYouTubeをベースにカバー曲を公開し活動をスタート。2020年4月に自身初のオリジナル楽曲「春を告げる」が注目を集め、あらゆるヒットチャートでトップにランクイン。2021年9月1日に1stアルバム『the meaning of life』をリリース、9月より『yama“the meaning of life”TOUR 2021』を開催。
リリース情報
2021.09.01 ON SALE
ALBUM『the meaning of life』
ライブ情報
yama“the meaning of life”TOUR 2021
09/29(水)TSUTAYA O-EAST
10/02(土)なんばHatch
10/03(日)DRUM LOGOS
10/14(木)高松festhalle
10/15(金)広島CLUB QUATTRO
10/19(火)PENNY LANE24
10/21(木)仙台Rensa
10/29(金)名古屋ダイアモンドホール
11/03(水・祝)金沢EIGHT HALL
11/07(日)Zepp DiverCity
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