『ザ・ベストテン』や『NTV紅白歌のベストテン』(後継は『ザ・トップテン』)、『夜のヒットスタジオ』など、生放送ならではの臨場感、絢爛豪華なセットや衣装、その時代をときめくスターたちの共演…と、話題と活気に溢れる歌番組が高視聴率をマークしていた昭和。
家族揃ってリアルタイム視聴していた家庭も多く、歌がお茶の間に浸透しやすい環境もあってか、誰もが口ずさめる“国民的ヒット曲”も数多く誕生した。ここではそんな昭和のヒット曲を紹介していく。
■昭和の名曲20選
・「夏の扉」松田聖子
・「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜
・「め組のひと」ラッツ&スター(Rats & Star)
・「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ
・「ダンシング・ヒーロー」荻野目洋子
・「異邦人」久保田早紀
・「愛燦燦」美空ひばり
・「プレイバックpart2」山口百恵
・「かもめが翔んだ日」渡辺真知子
・「ワインレッドの心」安全地帯
・「I LOVE YOU」尾崎豊
・「贈る言葉」海援隊
・「大都会」クリスタルキング
・「明日があるさ」坂本九
・「ロンリー・チャップリン」鈴木聖美 with ラッツ&スター(Rats & Star)
・「時の流れに身をまかせ」テレサ・テン
・「あずさ2号」狩人
・「ペッパー警部」ピンク・レディー
・「ルージュの伝言」松任谷由実
・「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子
「夏の扉」松田聖子
1981年4月に発売した5thシングル。1980年にデビューし、同年7月発売の「青い珊瑚礁」でブレイク。
デビュー曲「裸足の季節」から続く資生堂『エクボ』のCMソングにもなり、まさに“フレッシュ”な歌声で、デビューから1年のこの時点ですでにトップアイドルとしての地位を築いている。“聖子ちゃんカット”と呼ばれる髪型も同世代を中心に大流行した。
「飾りじゃないのよ涙は」中森明菜
1984年11月に発売された10thシングル。作詞・作曲を井上陽水が手がけ、同年12月発売の井上のセルフカバーアルバム『9.5カラット』にも収録。
この曲をはじめ、大沢誉志幸(「1/2の神話」)、細野晴臣(「禁区」)、玉置浩二(「サザン・ウインド」)、高中正義(「十戒(1984)」)といった個性的なクセの強い作曲家陣の曲を自分のものにできる“憑依型の表現力”が中森明菜の大きな武器。先日、8月30日にTwitterを始めたことでファンを大いに喜ばせた。
いつも応援してくださるファンのみなさまへ。
ご無沙汰しております。中森明菜です。
今の自分の言葉でお手紙を書きました。
読んでいただけたら嬉しいです。 pic.twitter.com/n9F2MtdU2T— 中森明菜 (@akinan_official) August 30, 2022
「め組のひと」ラッツ&スター(Rats & Star)
1980年2月にリズミカルなハミング風のコーラスが入る“ドゥーワップ”を取り入れた曲「ランナウェイ」で衝撃のデビューを飾ったシャネルズ。1983年4月リリースの10thシングルとなる同曲から“ラッツ&スター(Rats & Star) ”と改名。資生堂の夏のキャンペーンソングにもなり、オリコンランキング1位に輝いた。
キャッチーなメロと“めっ!”という決めポーズは不変的で、倖田來未が2010年にカバーした曲が2018年にTikTokで流行り、幅広い世代に愛される曲となった。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみ
1968年12月に発売された26thシングル。歌手として大きなヒット曲に恵まれていなかったが、同年6月発売の24thシングル「太陽は泣いている」から日本コロムビアに移籍し、筒美京平を作曲家として迎えた3作目となるこの曲で初の1位を獲得。
筒美にとっても1位は自身初。この曲から“偉大なるヒットメーカー”への道を歩き出したことになる。京急横浜駅のメロディーに使われるなど、横浜のご当地ソングとして長く愛されている。
「ダンシング・ヒーロー」荻野目洋子
1985年11月に発売した7thシングル。初のオリコンランキングトップ10入りとなったこの曲は、イギリスの歌手アンジー・ゴールドの「Eat You Up」の日本語カバー。
当時流行したディスコサウンドを取り入れ、アイドル的歌謡曲とは違った雰囲気があり、幅広い層から支持を集めた。2017年に大阪府立登美丘高等学校ダンス部がこの曲を使った「バブリーダンス」をきっかけにリバイバルヒットしたのは記憶に新しいところ。
「異邦人」久保田早紀
1979年10月にリリースされたデビューシングル。三洋電機のカラーテレビ『くっきりタテ7』のCMソングに起用され、中東あたりを思わせる異国情緒溢れるメロディーと凛とした歌声が新鮮に感じられ、発売後にじわじわとセールスを伸ばし、最終的にオリコンランキング1位を獲得。
実は、東京・国立駅前の大学通りの景色をイメージして書かれたという意外なエピソードも。
「愛燦燦」美空ひばり
1986年5月29日、美空ひばりの49歳の誕生日にリリースされたシングル。小椋佳が作詞・作曲を手がけたこの曲は、『味の素』のCMソングに起用された。
リリースした当時はチャート的にもふるわなかったが、“人生”を歌う深みのある歌詞は聴けば聴くほど心に響き、生きるうえでの教訓のようなメッセージを届けてくれる。
「プレイバックPart2」山口百恵
1978年5月にリリースした22ndシングル。1976年6月発売の「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻による楽曲を歌い、「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」「乙女座 宮」といったヒット曲を生み出してきた。
その流れで発表されたこの曲は、“馬鹿にしないでよ”と啖呵、“ポルシェ”という固有名詞を使ってのリアリティ、沢田研二の「勝手にしやがれ」へのアンサーソングとも解釈できる内容など、いろんな要素が織り混ざり、強烈なインパクトを与えた。
「かもめが翔んだ日」渡辺真知子
1978年4月発売の2ndシングル。アマチュア時代、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に4回連続で出演し、高い歌唱力が認められて「迷い道」でデビュー。
歌い出しから伸びやかな歌声を聴かせる「かもめが翔んだ日」はより完成度が高く、日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した。
「迷い道」を含め、それまでは自身で作詞・作曲を手がけていたが、この曲で初めてプロの作詞家に依頼。歌詞を渡された瞬間にメロディーが浮かんだという。
「ワインレッドの心」安全地帯
https://youtu.be/141E2nspDws
1983年11月に発売された4thシングル。玉置浩二が作曲を手がけ、ツアーのバックバンドを安全地帯がつとめたという縁がある井上陽水が作詞を担当。
サントリー『赤玉パンチ』のCMソングに起用され、艶っぽい雰囲気の歌とサウンドで安全地帯の名を知らしめた。ロングヒットを記録して、1984年の年間チャート2位を記録。のちに、1985年放送のドラマ『間違いだらけの夫選び』のエンディングテーマにも使用されている。
「I LOVE YOU」尾崎豊
1991年3月に発売された11thシングル。元々は1983年12月発売の1stアルバム『十七歳の地図』の収録曲で、シングルとして発表されていた「15の夜」「十七歳の地図」とは違う、ピアノ主体のバラードになっている。
「ディレクターの須藤 晃から『曲が足りないからバラードを書いてきて』と言われて作った」と言われている。初期の頃からライブで欠かさず歌われ、シングルとしても生前にリリースした中で最大のヒット作となった。JR東海『ファイト!エクスプレス』のキャンペーンソングにも起用された。
「贈る言葉」海援隊
1979年11月に発売された16thシングル。ボーカルの武田鉄矢が主演を務めたドラマ「3年B組金八先生」第1シリーズの主題歌としてヒットし、オリコン1位を記録。
たのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)をはじめ、以後、このシリーズは若手俳優の登竜門的な作品となった。武田鉄矢が“金八先生”と重なって見えることで、この歌も恋愛の歌でありながら、教師が生徒の成長を見守り、送り出す(卒業)というストーリーとリンクして聴こえる。
牧歌的な雰囲気のサウンドとメロディー、言葉一つ一つを噛み締めるように歌う暖かな声が、時代を超越した楽曲として聴き継がれている大きな理由となっている。
「大都会」クリスタルキング
1979年11月に発売されたデビューシングル。同年10月に開催されたヤマハの『ポピュラーソングコンテスト』に出場し、この「大都会」でグランプリを受賞。そして、『世界歌謡祭』でもグランプリを獲得した。
田中昌之のハイトーンボイスとムッシュ吉崎のドスの効いた低音ボイスの組み合わせが、彼らならではの特徴となっており、この曲はそれを見事に体現している。
「明日があるさ」坂本九
1963年12月に発売されたシングル曲で、坂本自身が主演のバラエティ番組『明日があるさ』『夢をそだてよう』の主題歌でもあった。1961年にリリースした「上を向いて歩こう」が国内だけでなく、「SUKIYAKI」というタイトルでアメリカでも大ヒットし、世界的なスターとなった坂本。作詞・青島幸男、作曲・中村八大による「明日があるさ」は聴く者に元気を与えてくれる曲で、ウルフルズや吉本興業所属のお笑いタレントによるユニット“Re:Japan”など、多くのアーティストにカバーという形で歌い継がれている。
「ロンリー・チャップリン」鈴木聖美 with ラッツ&スター(Rats & Star)
1987年7月にシングルとして発売。鈴木聖美と鈴木雅之の実の姉弟によるデュエット曲で、1987年3月に発売された鈴木雅之のシングル「Liverty」のカップリング曲としてリリースされた後、鈴木聖美 with ラッツ&スター(Rats & Star)のアルバム『WOMAN』に収録され、そこからシングルとしてリカットされた。
『じゅわいよ・くちゅーるマキ』というジュエリーのCMソングに起用され、カラオケのデュエット曲の定番としても人気の高かった。
「時の流れに身をまかせ」テレサ・テン
1986年2月に発売した16thシングル。1984年の「つぐない」、1985年の「愛人」、そして1986年の「時の流れに身をまかせ」と、作詞・荒木とよひさ&作曲・三木たかしによる3曲が続けて大ヒットを記録。『日本有線大賞』『全日本有線放送大賞』という東西の有線大賞で3年連続グランプリを受賞したのは史上初のことだった。
日本デビューの前からアジアのスターと呼ばれる存在になっていたくらいなので、この曲を発売する頃には歌手としてのスタイルも完成されており、洗練された歌を紡いでいる。
「あずさ2号」狩人
愛知県岡崎市出身の加藤邦彦と高道による兄弟デュオの、1977年3月に発売されたデビューシングル。
新しい恋人と一緒に都会を離れ、旅立とうとする想いを歌ったこの曲は、静かな歌い出しから激しいサビへという流れが、主人公の心情を表しているかのように感じる。
レギュラー出演していたNHKの人気音楽番組『レッツゴーヤング』の番組内で「ヤングヒットソング」として紹介されたことも大きなヒットへと繋がった。この曲で日本レコード大賞新人賞を受賞。
「ペッパー警部」ピンク・レディー
1976年8月に発売されたデビューシングル。森昌子、桜田淳子、山口百恵をはじめ、多くの人気歌手を輩出したオーディション番組『スター誕生!』に出演し、そこからわずか半年でのデビューとなった。
当時人気だったキャンディーズは大学生などの層を中心に人気があったが、ピンク・レディーは曲のインパクトも含めて、小学生などの層からも絶大な人気を得ることとなった。
この曲を手がけた阿久悠(作詞)と都倉俊一(作曲)のコンビと共に、ピンク・レディーの快進撃がここからスタートする。
「ルージュの伝言」荒井由実
1975年2月、ユーミンこと松任谷由実が“荒井由実”時代にリリースした5thシングル。
テンポ感のある軽やかな歌とアメリカン・ポップス調のサウンドが特徴的で、山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子がコーラスで参加している。
1989年公開のジブリ映画『魔女の宅急便』のオープニングテーマソングにも起用され、同年12月にCDシングルとして再リリースされ、再び人気に火がついた。
「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子
1981年11月に発売されたデビューシングル。女優としての出世作となった映画『セーラー服と機関銃』主題歌で、瑞々しい歌声を聴かせ、映画と共にヒットを記録。オリコン1位に輝いた。
80年代の角川映画は主演する“角川三人娘(薬師丸、渡辺典子、原田知世)”が主題歌を担当するのが定番となっていたが、その最初がこの曲だった。
作曲を手がけた来生たかおも一部歌詞の違う「夢の途中 -セーラー服と機関銃-」を同時期にシングルを発売。相乗効果でこちらもヒットした。
■誰もが歌える“国民的ヒット曲”の魅力を再確認
ひと言で“昭和”と言っても、その期間は長く、ヒット曲の傾向も変化していく。
しかし、“歌謡曲=流行歌”という大きな枠でとらえると、ジャンルを超えて、いろんな曲が時代を彩ってきたことがわかる。
テレビや映画といったメディアから発信された、誰もが口ずさめる昭和のヒット曲の魅力を改めて感じ取ってもらいたい。
TEXT BY 田中隆信