TEXT BY 原 典子
■ささやかな日常を切り取る、wacciの音楽性
wacci(ワッチ)は2009年、ボーカル&ギター・橋口洋平を中心に結成された5人組バンド。2012年11月7日発売のミニアルバム『ウィークリー・ウィークデイ』でメジャーデビューして10年になるが、メンバー交代もせず、ブレずに結成当初からのコンセプトである“聴く人すべての「暮らし」の中にそっと入り込んでいけるような歌”を届けてきた。
ほぼすべての楽曲の作詞作曲を担当する橋口は、影響を受けたアーティストにユーミン(松任谷由実)や槇原敬之などを挙げており、バンドという形態をとりながらもその音楽は声高に叫ぶロックではなく、ささやかな日常の風景を切り取って歌うポップスに近い。
橋口は無類のドラえもん好きでもあるそうだが、wacciの歌は私たちにとってのび太が壁にぶち当たって泣いている時に「よしよし」となぐさめてくれるドラえもんのような存在なのかもしれない。
■心の機微を捉えた、wacci代表曲「別の人の彼女になったよ」
筆者がはじめてwacciの曲を聴いてはっとしたのは、2018年にリリースされた「別の人の彼女になったよ」だった。
なぜ、橋口はここまで的確に女性の心境を歌詞にすることができるのだろう? と驚愕したからだ。それは結局のところ、“男だから”“女だから”に関係なく、人間を見つめ、その繊細な心の機微を捉え、トレースする能力のなせる技なのだろう。
2020年には同曲を『THE FIRST TAKE』で、そしてつい先日は『With ensemble』で披露した橋口だが、それぞれのバージョンで歌い方がまったく異なるのにも驚かされた。
バンドではスピーカーの向こうのリスナーに向けて、ギター弾き語りでは歌詞に登場する女性が元彼に向けて、クラシックのアンサンブルではその女性が自分に向けて語りかけているように聞こえる。素朴に歌っているようでいて、声の出し方や表情を巧みに変える橋口の卓越した歌唱力と表現力、その底にある深い洞察力にあらためて“タダモノではない”と思ったのだった。
■橋口洋平が語る、wacciというバンドの“陰”と“陽”
彼はインタビューで女性目線のちょっと曲がった恋愛ソングを得意であること、いっぽうでバンドを組んだ当初から大切にしてきたのは温かさや優しさが伝わることだとも語っており、それらはバンドの“陰”と“陽”のようだと感じているとのこと。
「別の人の彼女になったよ」が“陰”なら、今回の『With ensemble』で取り上げられた「恋だろ」は“陽”にあたる楽曲ではないだろうか。
「恋だろ」は、今年4月から6月にかけて放送されたフジテレビ 木曜劇場『やんごとなき一族』の挿入歌として書き下ろされた。ドラマに出演した俳優の松下洸平がwacciのライブにゲスト参加し、ふたりでこの曲を歌ったライブ映像もYouTubeで公開され大きな話題を呼んだが、橋口と松下は同じ事務所で10年来の友人なのだそう。
性別、年齢、家柄、国籍…ふたりの間に立ちはだかる壁も、すべて乗り越えられるのが“恋だろ”と、まっすぐに歌い上げるスローバラードである。
■橋口洋平が『With ensemble』で紡ぐ「恋だろ」
『With ensemble』には橋口がボーカルで参加し、弦楽四重奏(バァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ)、ピアノ、コントラバスーンらと共演している。
バンドによる原曲では、一歩、また一歩と歩みを進めていくようなシンプルなリズムに乗せて、今まさに葛藤している若者の独白のように歌われるが、『With ensemble』での橋口の声はより成熟した色合いを帯びて、まるで10年後に当時を振り返って歌っているようにも聴こえる。
映画のプロローグのようなストリングスによる序奏、その最後に少しだけ不安を抱かせるような和音が置かれているが、橋口の歌がはじまると途端にふわっとした安心感に包まれ、彼が紡ぐ物語へと引き込まれていく。
身の程知らずの恋をした“僕”が、“君”の姿を様々に思い描きながら、自分のなかに芽生えた気持ちに戸惑う。ストリングスを中心としたアンサンブルは、その気持ちをそっと受け止めるようにオブリガートを絡めていく。
■キャリア、人生を重ねた今だから歌える“好きなら関係ない”という素直な気持ち
“性別も年齢も 家柄も国籍も〜”と歌う場面では、鼓舞するようにピアノのリズムも力強さを増す。“今日もただ君が好き”と、穏やかな微笑みを浮かべながら歌う橋口を見ていると、この年齢になったからこそ言える言葉があるのだと思えてくる。
1980年代前半生まれのwacciのメンバーたちは、バブル崩壊や就職氷河期後に社会に出て、格差の広がりを肌で感じてきた世代。時代や境遇による不遇を経験し、一周回ってようやく“好きなら関係ない”と言えるようになったのではないだろうか。
彼らの優しさの奥には、そんな時代を生き抜いてきた揺るぎない強さがある。
■アンサンブルならではの「恋だろ」聴きどころ
このアンサンブルならではの聴きどころは、“もはや抗うでもなく自然に 僕はただ君が好き”の後に続く長めの間奏。コントラバスーン(コントラファゴット)という楽器をこの映像ではじめて見た方もいるかもしれないが、ファゴットよりさらに8度低い音域の楽器がインパクトのある低音を響かせる。“明るさに潜む影”“素敵な残酷さ”という言葉を音にしたような混沌とした世界。そこから徐々にバラバラだった音がひとつにまとまり、光に満ちた高みへ――。
木漏れ日のようなピアニッシモのアンサンブルから、“憧れて 諦めて”と歌う声が立ち上る。“君が本当に綺麗だから”でブレイク。最後にもう一度、“君”への変わらぬ愛を誓って
曲が終わる。
聴き終わったあとは、一篇のロマンチックな映画を観た後のような気分になった。
wacci OFFICIAL SITE
https://wacci.jp/
『With ensemble』
https://www.youtube.com/c/Withensemble
『THE FIRST TIMES』OFFICIAL YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCmm95wqa5BDKdpiXHUL1W6Q