TEXT BY 田家秀樹
■JUJUの成長の物語であると同時に、“今までにない”JUJUがいる
JUJU のカバーアルバム『ユーミンをめぐる物語』の資料にあった“プロデュース”のクレジットに目が釘付けになった。そこにはなんと“松任谷正隆・松任谷由実”とあったのだ。“ほんとかよ!”というのが第一印象だった。
JUJUがユーミンに傾倒しているという話はかなり前から知っていた。ステージでも公言しており、ライブで歌ってきた楽曲もアルバム2枚分はゆうにあるだろう。今までのインタビューの中でも「自分の曲のほとんどをユーミン風に歌える」という話も聞いた。いつか全曲ユーミンというアルバムが出ることは時間の問題だと思っていた。
ただ、まさか、こういう形になるとは思ってもいなかった。
彼女は筆者が担当しているFM NACK5のラジオ番組『J-POP TALKIN’』のインタビューで「あのときのことを思い出すと今も胸が苦しくなって冷や汗が出てくる」と語っていた。
“あのとき”というのは、彼女が松任谷正隆・松任谷由実夫妻にカバーアルバム制作の了解をもらいに行ったときのことだ。JUJUはまずユーミンに手紙を書き、そのあとにふたりに直接会って話をすることを決めた。「断られることを覚悟のうえでプロデュース」も依頼したというのである。
トリビュートアルバムにせよカバーアルバムにせよ、“される”側のアーテイストが直接関わることは多くない。第三者のプロデューサーが“する”側を仕切り、“される”側はどういう作品になるのかを楽しみにする、という形が一般的だろう。
けれど、『ユーミンをめぐる物語』は、そうではない。“される”側がプロデュースするという極めて異例の形だ。JUJUのアーティスト人生を賭けた直接の依頼がなかったら、こういう形にはならなかったに違いない。
本作を知ったときのもうひとつの“ほんとかよ!”は、タイトルだった。それは“驚き”というより“当たり!”という快哉に近いものだった。彼女はやはり番組のインタビューで「アルバム作り自体が、幼少期から私とユーミンの間にどんな物語があったか、ユーミンの歌が私をどんな物語に連れ出してくれたか、という中にあるのでこういうタイトルになった」と話していた。
そうやってふたりのところにアルバムを“直訴”したときに持参したという「歌いたい曲のリスト」にあった曲がこのアルバムには収められている。その曲を聴いたときにどんな日々を過ごしていたのか。その曲のどこに惹かれてどんな影響を受けたのか。これらの曲はJUJUの成長の物語でもある。
例えば、2曲目の「守ってあげたい」に出会った頃は、歌詞の中にある“土手にすわり レンゲを編んだ”少女で、この曲に“守られていた私”がいた。3曲目の「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」は、もう少し大人になって恋をすることの“孤独”を知るなかで“素敵なレデイ”になりたいと思い始めた頃の自分だ。
6曲目の「影になって」や7曲目の「街角のペシミスト」、9曲目の「TYPHOON」などは、高校を卒業して単身ニューヨークに渡ってからの日々が重なり合う。世界中から夢を追い求めた若者たちがひしめき合い競い合うマンハッタンで彼女が何を思っていたのか。
「影になって」の“くたびれたシャツを選んで”霧の歩道を“踊るように”歩き、“ドーナッツ屋のうすいコーヒー”を手にする主人公は、紛れもないJUJU自身だろう。「街角のペシミスト」には“平凡だけはいやよ””胸にくすぶる/夢の炎 他人は消せない“という歌詞がある。彼女は「にぎやかなところに行けば行くほど孤独は募りますよね。でも、この曲を聴くと、孤独だけどそれが清々しく感じられた」と言い、“不安な明日をダブルで飲み干す”という歌詞が「『長い間、何でそんなに飲むの?』って言われると、だってユーミンが歌ってる」と「飲酒を正当化する歌でもあった」と笑った。
ニューヨークでクラブ通いをし、最先端の音楽の洗礼を受けていた彼女がユーミンに何を求めていたのか。「ホームシックになったことはないけど、帰ってから聴くとニュートラルになれた」と言っていた。「TYPHOON」は、当時好きだったDJのお気に入りがこの曲の入ったアルバム『VOYAGER』(1983年発表)だったのだそうだ。“今日はどこへも行かせないわ“と思いつつ、口には出せない。心の中に淋しさはいっぱいあるけど、相手には言えない──「ユーミンの歌の中のそんな凛とした女性像が憧れで、今もJUJUはままならない恋を歌うの」とも話してくれた。
どの曲もオリジナルとは違うアレンジが施されている。松任谷正隆はプロデュースを依頼された際、「僕が全部アレンジするんだよね」と、彼の方から念を押されたという。
JUJUが歌うとしたら、どうなるか……。
誰もが知っている史上最大の卒業ソング「卒業写真」は4曲目だ。「守ってあげたい」や「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」の中の思春期のJUJUがニューヨーク時代の彼女になってゆく旅立ちの歌が「卒業写真」ということになる。オリジナルとは違うしみじみとした密やかさやジャジーな息づかいは時の流れの表れのようだ。
洗練されたシティポップスのような「真珠のピアス」に原曲の“復讐感”は薄い。都会的なAORファンクだった「影になって」は陰影の濃いミステリアスなジャズバラードになった。JUJUがもらったときに涙が止まらなくなったという新曲「鍵穴」の前の「街角のペシミスト」は、80年代当時のニューヨークのラスタブームを思わせるクラシックレゲエに生まれ変わった。
アルバムの曲目を見たときに思った、もうひとつの“ほんとかよ!”があった。それは13曲目に「ひこうき雲」があったからだ。
以前、ユーミンのデビューを手がけたアルファミュージックのディレクターから、「ひこうき雲」は亡くなった少女を歌ったという成り立ちも含めて当時から他の人に歌わせない曲だったと聞いたことがある。それでなくても“カバーしにくいアーティスト”として知られているユーミンの曲の中で最もハードルの高い、いわば“不可侵”の曲だ。
JUJUもそうしたいきさつを知っていて最初にふたりに見せたリストには入れなかった。「考えもしなかった」と言っていた。しかし、それを見た松任谷正隆が「これはどうかな」と提案した。しかもオリジナルとはまったく違うゴスペルになった。『ユーミンをめぐる物語』の最後を締め括るには、これ以上ない“物語”ではないだろうか。
この話を聞いた際に、松任谷正隆もユーミンの曲のカバーの機会を待ち望んでいたのではないかと思った。
JUJUが日本語のポップスとジャズなどの英語の曲を歌うときと、歌い方が違うことは多くのファンが気づいていることだと思う。そして、日本語の歌を歌うときにユーミンの存在が随所に垣間見られることもだ。彼女はそんな話をすると、「喉が違う」という言い方をする。2004年にデビューしてから2006年に「奇跡を望むなら. . .」で開花するまでの試行錯誤は、英語の歌と日本語の歌の“喉の使い分け”を習得する過程だったのだと思う。そこで、“日本語の歌”を確立する最大の“援軍”が、ユーミンだったのではないだろうか。
あれから約15年。押しも押されぬ実績を残した自分に最も影響を与えたアーティストをカバーする。“らしさ”に留まらない自分の歌をうたえるかどうか。それは、生涯を賭けた“対決”でもあったのだと思う。
『ユーミンをめぐる物語』のJUJUはジャズやクラブミュージックを歌ってきたJUJUでも、“ユーミンのような”JUJUでもない。ユーミンの歌にあったあどけなさや儚さや素っ気なさや上品さを残しつつ、ありったけのエモーショナルな想いを注ぎ込んでいる“今までにない”JUJUだ。
『ユーミンをめぐる物語』には“続編”がある。5月から始まる同名のツアー『JUJU HALL TOUR 2022 不思議の国のジュジュ苑 -ユーミンをめぐる物語-』全43公演の演出を松任谷正隆が手がけるのだそうだ。
どんな“物語”が展開されるのか。
お楽しみはこれからだ。
2022.03.16 ON SALE
ALBUM『ユーミンをめぐる物語』
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