TEXT BY 森朋之
■尾崎豊の“生”が強く刻まれた作品
尾崎豊のライブアルバム『LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI』がリリースされた。
1992年4月25日、26歳の若さでこの世を去った尾崎豊。30周忌のタイミングで発表された本作は、尾崎が生前最後に開催した全国ツアー『YUTAKA OZAKI TOUR’91 “BIRTH”』、アリーナツアー『YUTAKA OZAKI TOUR’91 BIRTH “THE DAY”約束の日』の音源を収めた作品。ほとんどが初出しの音源という、きわめて貴重なライブアルバムだ。
1983年12月にシングル「15の夜」、アルバム『十七歳の地図』でデビューした尾崎豊。当時の尾崎は18歳。前年にレコード会社主催のオーディションに合格し、須藤晃氏のプロデュースのもとで制作されたアルバムには、“盗んだバイクで走り出す”のサビで知られる「15の夜」、珠玉のラブバラード「OH MY LITTLE GIRL」、後にMr.Children、miwaなどがカバーした「僕が僕であるために」などが収録された本作は、尾崎豊の原点であると同時に、今もなお聴き継がれ、歌い継がれる名曲が収められた名盤だ。
もっとも広く知られている楽曲はやはり「I LOVE YOU」だろう。“I love you 今だけは悲しい歌聞きたくないよ”というフレーズからはじまるこの曲は、尾崎豊というシンガーソングライターの震えるような繊細さ、豊かな叙情性、そして、愛する人と穏やかな時間を過ごしたいという祈りにも似た思いが込められたバラードナンバー。美しくも儚い旋律、詩的な表現と生々しい感情が織り交ざった歌詞がひとつになったこの曲はドラマ、CMなどに何度も使用され、桑田佳祐、玉置浩二、宇多田ヒカル、ATSUSHI、堂本剛など数多くのアーティストがカバー。今年2月に放送された音楽番組『ミュージックステーション』の“ラブソングアーティストが選ぶ最強恋うたランキング”で1位を獲得するなど、今なお幅広い層のリスナーに愛され続けている。40年近く前に発表された楽曲が、これほどまでに求められ、評価されることは極めて稀。それはもちろん、「I LOVE YOU」の普遍的な魅力の表れだ。
10代の鬱屈した思い、“自由でありたい”という願いや衝動をストレートに表現した楽曲でシーンに登場した尾崎豊。“デビュー直後、瞬く間に10代のカリスマになった”と評されることもあるが、じつはそうではない。筆者は尾崎のデビュー時をリアルタイムで体験した世代なのだが、彼への評価は賛否両論で、心酔するように尾崎の音楽にのめり込む人もいれば、“嫌いだ”という人間もかなりいたように記憶している。(“嫌い”の理由は、“東京生まれで、そこそこお金持ちの家に育ってるのに、なんでこんな反抗的なの?”“歌詞がストレートすぎて、鬱陶しい”など)。つまり尾崎豊は、聴く者を決して素通りさせず、何らかの強烈な反応を引き出すアーティストだったのだ。
デビュー当初はセールス的にも振るわなかった尾崎がブレイクを果たした最大の理由は、ライブツアーだ。最初のツアーは全国6カ所のライブハウス。84年末から85年にかけて行われたホールツアーで高い評価を獲得し、シングル「卒業」がオリコンチャート20位にランクイン。2ndアルバム「回帰線」がチャート1位を記録し、ここから爆発的な人気を得た。
その後の人生はまさに波乱万丈だった。活動の規模が加速度的に大きくなり、“10代のリアルな感情を歌うカリスマシンガー”という外からイメージに端を発したプレッシャーから逃避するように、86年には単身渡米。翌年帰国し、徐々に音楽活動を再開するも、1987年にドラッグで逮捕。翌年9月に東京ドーム公演で復活を果たし、その後は順調な活動を続けていたように見えたが、92年4月に若くしてこの世を去った。
■1991年の尾崎が放っていた熱気、凄み、孤独
ライブアルバム『LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI』は、91年の──つまり、彼が亡くなる1年前の──尾崎豊の“生”が強く刻まれた作品だ。
「十七歳の地図」(1991/06/03 大阪厚生年金会館)、「僕が僕であるために」(1991/06/25 倉敷市民会館)、「卒業」(1991/08/22 北海道厚生年金会館)、そして「I LOVE YOU」(1991/09/24 新潟県民会館)といった代表曲が収められた本作の最大の見魅力はやはり、1991年の尾崎が放っていた熱気、凄み、孤独がダイレクトに感じられることだろう。メロディを破壊するようなシャウトを響かせるときの高揚感、歌詞に込めた思いを手渡すように紡ぎ出す瞬間の切なさ。こんなにもリスナーの感情を揺さぶり、惹きつけるアーティストは稀だと、改めて実感させられた。
個人的にもっとも心に残ったのは、「太陽の破片」(1991/08/16 メルパルクホール広島)だった。88年、活動再開後の最初のシングルとして発表されたこの曲は、失望、欲望、絶望を抱えながらも、その先にあるはずの希望に手を伸ばそうする姿を描いた楽曲。ステージの上で「太陽の破片」を歌う尾崎からは、自分を自分たらしめた音楽と真摯に向き合い、新たな未来に進もうとする決意がはっきりと伝わってきた。
“今なお愛される伝説のアーティスト”と呼ばれることが多い尾崎豊だが、彼の存在はそんなキャッチフレーズで括れるほど単純ではないし、もちろん、純粋できれいなだけではない。筆者は以前、生前の尾崎と交流があったアーティストから「あいつはだらしなくてスケベで、どうしようもないところがたくさんあった。だから好きだったんだ。勝手に伝説にするな」という話を聞いたことがある。ピュアなメッセージや神聖なイメージだけではなく、汚さ、狂おしさ、情けなさまでもさらけ出す。それこそが尾崎豊の本質であり、ライブアルバム『LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI』」の核なのだと思う。
リリース情報
2022.03.23 ON SALE
ALBUM『LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI』
尾崎豊 OFFICIAL SITE
https://www.sonymusic.co.jp/artist/YutakaOzaki/