フジファブリックの山内総一郎から1stアルバム『歌者 -utamono-』が届けられた。バンドのボーカリスト/ギタリストとして豊かな経験を重ね、独創性とポピュラリティを兼ね備えた音楽を生み出してきた彼が、“歌”にフォーカスを当てた本作。
2009年に急逝した志村正彦に対する想いを歌ったリード曲「白」をはじめ、“2022年の東京で暮らす人々”の姿を描いた楽曲を収めた本作には、ソングライター/ボーカリストとしての豊かな魅力が刻まれている。
このタイミングで自らの歌と向き合ったのはなぜか? 山内本人に話を聞いた。
INTERVIEW & TEXT BY 森朋之
PHOTO BY 増田慶
■“フジファブリックのためにできること”のひとつ
──“山内総一郎”名義の1stアルバム『歌者 -utamono-』がリリースされました。フジファブリックではなく、自分の名前で楽曲を作ったきっかけは何だったんですか?
2024年にバンドとして20周年を迎えるんですが、その先の未来も見据えながら、“フジファブリックのためにできることは何だろう?”ということを考えていて。そのなかで出てきたのが、“ひとりでアルバムを作ってみたら”というアイデアだったんです。実は、2008年頃にも事務所の方から「インストのソロアルバムを出さないか?」と言われたことがあったんですよ。ちょうど『TEENAGER』(2008年)を作り終えて次の作品に向かっている時期だったので、「そんな余裕はないです」ってお断りしたんですけど。今回はソロアルバムというよりも、バンドのためにできることのひとつというニュアンスだったので、やってみようと思いました。
──“ひとりでアルバムを作る”という話が出てきたとき、“できそうだな”という感覚があったんですか?
いや、全然(笑)。それよりも“やらないと”という覚悟を決められるかどうかですよね。何と言うか、フジファブリックを応援してくれているファンの皆さんに“もっといい景色を見せたい”という気持ちがずっとあるんです。これまでにも節目節目でいろんなライブやツアーをやらせてもらったけれど、このバンドにはもっともっと可能性があると思っているし、そのための力になれるんだったら、やらない理由はないなと。
──バンドのために自分にやれるのは、やはり“歌”だろうと?
そうですね。フジファブリックで歌い始めた、ボーカルとしてやっていこうと覚悟を決めたのは2011年の『STAR』からで、もう11年も経っているんですよ。この先のことを考えると、ボーカリスト/表現者としてひと皮もふた皮もむけないといけないし、そうすることでバンドを支えたいなと思って……それは僕だけじゃなくて、ダイちゃん(金澤ダイスケ/Key)、加藤(慎一/Ba)もそれぞれ思っていることなんですが。
■“2022年の東京で暮らす人々の物語”のプロットを作るところから
──なるほど。アルバム『歌者 -utamono-』の収録曲は、以前から作りためていたのではなく、リリースが決まってから作ったんですか?
はい。サウンドにしても言葉にしても、僕がやりたい表現はフジファブリックですべてやれているんです。人間関係、音楽性を含めて、人生のすべてをかけてやっているバンドだし、“バンドとは違うことをやりたい”というのもまったくない。今回のアルバムも、“バンドのボーカル部門を担っている人”として作ったんですよね。もしかしたら“山内がソロやるの? 欲出してきた!?”って思われるかもしれないけど(笑)、実際に曲を聴いてもらえれば、僕がやろうとしていることがわかってもらえると思います。そういう信頼感と確信のうえで曲作りをしていました。
──作詞・作曲はどんなスタイルで進めたんですか?
歌詞が乗っているのは8曲なんですが、すべて“2022年の東京で暮らす人々の物語”なんです。制作としては、まずプロットを書くところから始めました。何歳くらいで、どこに住んでいて、何をやっている人か。今、どんなことを思いながら暮らしているのか。年齢もバラバラだし、季節もいろいろですけど、かなり事細かく構想立てしましたね。楽しくてどんどん筆が進んだし、もうちょっと書けば短編になるんじゃないか、というくらいのプロットもあるんですよ。
──もともと物語を作るのが好きなんでしょうね。
好きですね。そのなかにはもちろん、自分の経験や見聞きしてきたこと、実際に友達と話したことなども入っているんですけど、物語を書くのは本当に楽しかったです。ただ、歌にするのが大変だったんですよ(笑)。それぞれに人生や生活があって、どこを切り取って歌詞にするかは、こちらのセンスですからね。例えば、「村上春樹さんの小説をもとに歌詞を書いてください」と言われたとして、どこを歌詞にするかは人によって違うじゃないですか。
■バンドのことを歌うのは、個人名義じゃないとできなかったこと
──たしかに。リード曲の「白」は、フジファブリックを始めたときのこと、そして、志村正彦さんへの想いを綴った楽曲。この曲の主人公は、山内さん自身ですね。
はい。40歳の男性、フジファブリックというバンドでボーカルとギターをやっている山内総一郎の歌です。バンドのことを歌うって、個人名義じゃないとできなかったことなんですよ。それはさっき言った“バンドを支える”という意味もあるし、そのままの自分を表現することでもあって。
──“「ギターを弾いて欲しいんです」迎えてくれた言葉 今でも澄ましては胸を暖めています”という一節もそうですが、まるでドキュメンタリーのような生々しさがありました。
“「ギターを弾いて欲しいんです」”、“新しい歌のタイトル なあ 付けてくれよ”とか。“自分自身の出来事を過不足なく表現したかったんですよね。
──なるほど。2曲目の「最愛の生業」は、音楽を仕事にしている男性の歌ですね。
主人公は35歳の男性、レコード会社勤務です。最初は違う職業の人の歌にしようと思っていたんですけど、音楽雑誌の撮影を深夜のレコード会社でやったことがあって、誰もいないフロアを見たときに“ここで働いている人たちのことを歌詞にしよう”と思いついて。レコード会社で仕事をしている人にも、それぞれに好きな音楽があると思うんですよ。それを売る仕事でもあるし、僕らの立場からすると“届けてくれる人”でもあるんですけど、いろんな葛藤があるだろうなと。好きで始めた仕事のはずなのに、いつの間にか大変なことが大半を占めていたり……。
──音楽の仕事に限らず、すべての働いている人が経験することですよね。
そうだと思います。“最愛の生業”って、考えれば考えるほど、わからないんですよ。まだ定まっていない気もするし、“これが自分の生業だ!”と言い切ってしまいたい気持ちもある。生きていれば揺れるのが当たり前だし、いつも業がつきまとうんでしょうね。
──好きだけでもないし、つらいだけでもない。その気持ちの揺れもすごくリアルだと思います。「大人になっていくのだろう」という曲にも、仕事をしている男性の切なさが滲んでいますね……。
「大人になっていくのだろう」は、赤羽在住の39歳男性ですね。飯田橋駅の改修工事の現場で仕事をしていて。コロナになって日常が変わってしまったけど、それでも電車は動き続けているし、改修工事は終電後の夜中にやっている。朝方に帰宅し、起きるのは昼過ぎ。そういう生活を歌ってみたくて。その後の「歌にならない」という曲は、明大前に住んでいる30代前半、髭面です。この曲のプロットもかなり詳細に書いたんですよ。どっから話そうかな……。
──(笑)。曲を聴くと、いろんな想像を掻き立てられます。“あなたが居ない街で今日も一人”もそうだし、“あなた以外何も歌にならない”というラインもすごいなと。
一途ですよね。すごく強い曲になったと思います。
■切り取った場面に、希望を見つけたかった
──「Interlude」のあとは、青春や思春期を想起させる楽曲が続きます。テンポも上がっていますね。
『歌者 -utamono-』というタイトルを付けて、“歌モノ”を抽出しようとすると、どうしてもバラードっぽい曲が増えてきて。「Interlude」で場面転換というか、レコードのA面・B面みたいにしたかったんです。冒頭の「Introduction」と「Interlude」は声だけで構成しているんですけど、それも“歌”に焦点を当てたアルバムだからですね。
──「青春の響きたち」「風を切る」は10代の若者たちが主人公。これもプロットが先なんですか?
はい。「青春の響きたち」「風を切る」のプロットを書くときは、昔の写真をいろいろ見ましたね。それこそ卒業アルバムもそうですけど、当時の写真を見ると、すぐに戻れるんですよ。僕、どうやら記憶力がいいみたいで。あの頃の教室の雰囲気だったり、クラスメイトとのやりとりにすぐに戻れて、そこにヒントがいっぱいあって。とはいえ、ほとんどがダサくて恥ずかしい記憶ばかりで、耳が赤くなっちゃいますけど(笑)。
──過去のことをリアルに想起して、一場面を切り取って歌にする。それは完全にシンガーソングライターの資質ですよね。
だとしたら、もっと発揮したいです(笑)。今回は主人公の人生や生活を切り取るようにして歌詞を書きましたけど、痛い部分を探して歌にするのは品がないなと思っていて。そうじゃなくて、どうにかして希望を見つけたかったんですよね。それもたぶん、自分の好みなんだと思います。ドキュメンタリー作品を観るのが好きなんですけど、“こういうひどい生活をしている人がいます”みたいな描き方ではなくて、ハングリー精神で立ち向かっている人を見たいほうなので。好きなもの、そうじゃないものはハッキリしていますね。
──アルバムの最後に収録されている「あとがき」の舞台は、“冬枯れた東京”。切なさがじんわりと伝わる楽曲ですね。
歌の内容もそうですけど、作っているときから“これがアルバムの最後の曲かな”と思っていましたね。主人公は30代の男性で、季節は年末。車で甲州街道を走りながら、別れた人のことを思い出している。ふたりで住んでいたマンションの室外機のうえに、元カノが買ってきたサボテンが置いてあるんですけど、それが自分のことのように思えるというか。周りはどんどん進んでいくし、車も先に進んでいるんだけど、“俺はずっと取り残されている”という気持ちが消えない。“寂しくないかい?”って呼びかけているんだけど、それもただの強がりなんですよ。どうあがいても、あの日々はもう返ってこない……すべては自分のチョイスなので言い訳はできないんだけど。僕も同じような気持ちになることがありますからね。曲作りもそうだし、ギターを弾いていても停滞するというか、どうも集中できなくて“昨日よりもうまくなっていない”と感じることがあるので。
■ここで得たものをフジファブリックの表現に活かす
──アルバム全体を通し、洗練されたアレンジや演奏がまた素晴らしくて。質の高いポップスを作りたいという想いもあったのでは?
そうですね。参加してくれたアレンジャーの皆さんも、僕の歌を聴かせるためにどういうエッセンスが必要なのかを理解してくれていて。今回はパーソナルな表現が増えてくるだろうなと思ったから、フジファブリックを含めて自分のことを知ってくれている方にお願いしたんです。「白」をアレンジしてくれた百田留衣(agehasprings)さんは、僕が高校生の頃から知っていて。彼、地元の音楽スタジオのお兄さんだったんですよ(笑)。当時から百田さんはめちゃくちゃカッコいい曲を作っていて、聴かせてもらうたびに「すごい! これ自分で作ったん?」って驚いていました。実は、そのスタジオでPABLOくん(LiSA、HYDEなどのライブや楽曲制作などに関わるギタリスト/プロデューサー)とも出会ったんですよ。
──すごい。何ですか、そのスタジオ(笑)。
「大人になっていくのだろう」「歌にならない」を一緒に編曲してくれた桑田健吾くんは、関ジャニ∞やSnow Manなどの楽曲を手がけているんですが、もともとは弟の友達で、中学生の頃から知っていて。当時から宅録で音楽を作っていたのですが、それがすごく良かったんです。今はプロとして活躍しているけど、遊び感覚で音楽を楽しめる間柄なんですよね。
──「青春の響きたち」をアレンジした川口大輔さんは?
川口さんは、ここ数年、急接近した方ですね。きっかけはJUJUさんがフジファブリックの「手紙」をカバーしてくれて、ライブにゲストとして出演させてもらったこと。その後、「赤い果実」(feat. JUJU/アルバム『I Love You』収録)という曲を作ったときに、JUJUさんのボーカルディレクションやコーラスのアレンジをやっていたのが川口さんだったんです。人柄も素敵だし、音楽的なセンスも素晴らしいし、歌もめちゃくちゃうまくて。ぜひ僕のディレクションもやってほしいなと。
──アルバムの制作は、ボーカリストとしての自分に向き合う日々だったと思います。そこで得たものも大きいのでは?
正直、もうちょっと時間が経たないとハッキリしたことは言えないかもしれません。ただ、“歌”に集中するというのは意外と難しいなと思いましたね。普段はアレンジも自分たちでやっているし、ギターも弾くので、いろんなところに意識が向いているんですよ。今回はアレンジや演奏を人にお任せすることが多くて、そのぶん、“歌”だけに集中できる環境を整えたんですけど、こんなにも難しいのかと……。でも、こうやってひとつ作品に出来たこと自体が手応えなのかも。最初に言ったように、バンドのプロジェクトとして始めたことなので、ここで得たものをフジファブリックの表現に活かしたいですね。
──金澤さん、加藤さんにも刺激を与えることになりそうですね。
最近、メンバー同士でよくやりとりをしているんですよ。今作っている曲のこともそうだし、バンドの今後についてもいろいろ話していて。そうやって明るい未来に進んでいきたいなと思っています。
リリース情報
2022.03.16 ON SALE
ALBUM『歌者 -utamono-』
プロフィール
山内総一郎
ヤマウチソウイチロウ/シンガーソングライター。2000年に志村正彦を中心に結成された、叙情性と普遍性と変態性が見事に一体化した個性派ロックバンド“フジファブリック”のメンバーとして活動。2009年、志村急逝後、ボーカル兼ギターを務める。個人名義でのリリースは本作が初めてとなる。4月9日に昭和女子大学人見記念講堂にて一夜限りの『山内総一郎 HALL LIVE「歌者 -utamono-」』を開催。
フジファブリックOFFICIAL SITE
https://fujifabric.com/