キタニタツヤの楽曲「ちはる」とmonogatary.comのコラボレーションによるMVが公開された。
「ちはる」は2022年にアサヒ スーパードライ×『THE FIRST TAKE』WEB CMタイアップソングとして書き下ろされた、春をテーマにした楽曲。MVは、monogatary.comで「ちはる」にインスパイアされた物語を募集するコラボコンテストを実施し、応募総数951作品の中から大賞に選ばれた作品「立春の緩風」(著・yurumo)をもとに制作された。
監督はキタニの楽曲「プラネテス」のMVも手掛けた中澤太。キタニ自身との打ち合わせを経て、「ちはる」「立春の緩風」の世界観が織り交ざり合う映像作品となっている。MVは春限定の公開。この先、新たな春ソングとして幅広いリスナーに共有されることになりそうだ。
「ちはる」の制作からコラボMVに至るプロセスについて、キタニ自身に語ってもらった。
■“らしくなさ”も面白いじゃないですか(笑)。そこも含めて楽しんでもらえたら
──「ちはる」はもともと、アサヒ スーパードライ×『THE FIRST TAKE』WEB CMタイアップソングとして書き下ろされた楽曲です。
「春の歌で、爽やかなもの」というテーマをいただいたんです。「あとは自由にお願いします」という感じだったんですが、その時点で僕にとってはかなり挑戦だったんですよ。どちらかというとネガティブなことを歌にするほうが多い人間だし、いわゆる春ソングは数えるぐらいしか知らなかったので。まあ、リスナーの方にとっては“らしくなさ”も面白いじゃないですか(笑)。そこも含めて楽しんでもらえたらいいなというのもありましたね。
──「ちはる」は爽やかさだけじゃなくて、切なさも色濃く反映した曲ですね。
結局はそうなりましたね。春の歌というと“出会いと別れ”だったり、“桜”というテーマが多いと思うんですが、自分が作るんだったら、それとは違うものにしたくて。まずは歌詞でヒネりたいと思って、何をモチーフにするのがいいのかなと考えて…今日もそうなんだけど、桜が咲いてる時期は気候が不安定で、雨が降って肌寒い日もあるじゃないですか。“花冷え”という言葉もありますけど、雲が重く垂れ込めていて、桜がきれいに咲いている風景が好きなんですよね、昔から。あと、散った桜が濡れたアスファルトの上に散っているところとか。「ちはる」の歌詞に桜は出てこないんですが、そういう状況を描きたいというのはありました。
──抒情的なメロディも素晴らしくて。キタニさん流の王道のJ-POPというイメージもありました。
そう言ってもらえるのはうれしいんですが、僕自身がJ-POPをわかってないので(笑)、“これで大丈夫なのかな”と思いながら作ってます。特にこの曲はポップにしたかったんですよね。CMとして使っていただくことになっていたし、「THE FIRST TAKE」で初披露することも決まっていて。普段、自分の音楽を聴かない人たちにも観てもらえる機会だったし、しっかり届く曲にしたかったんですよね。
──『THE FIRST TAKE』でのパフォーマンスの手ごたえはいかがでした?
本当に出来立てホヤホヤだったんですよ。しかも歌うのが難しいんですよね、この曲。本来の自分のキーよりもちょっと高いし、息継ぎできるところも少なくて。かなり練習して臨んだんですが、本番がいちばんいいテイクだったと思います。ただ、1ヵ所メロディを間違えてしまって。正確に言うと違う歌い回しになってしまったんだけど、それが意外と良くて。改めてアルバム(『BIPOLAR』)に収録するときも、“このまま活かそう”ということになりました。一発撮りのいいところというか、あの空気に引っ張られて出てきたフレーズなのかなと。
──なるほど。ギタリストとしてn-bunaさん(ヨルシカ)が参加していることも話題を集めました。キタニさんはヨルシカにベーシストとして参加しているし、もともと交流があって。
そうですね。曲を作っている段階から、n-bunaにギターを弾いてもらおうと思ってたんですよ。すごく個性的なギタリストだし、聴きやすくてポップなんだけど、実はすごく変わったことをやってるんです(笑)。ヨルシカ好きの人が「ちはる」を聴いたら、すぐn-bunaのギターだってわかると思いますね。
■(「ちはる」は)かなり解釈の余地がある歌詞だと思うし、それを縫うようにして物語を作ることもできる
──そしてこの春、「ちはる」のMVが公開。このMVは「monogatary.com」(「お題」に沿って投稿された物語を軸に、様々な方法で遊ぶことができる“ストーリーエンタテインメントプラットフォーム”)とのコラボレーションで制作されました。「『ちはる』をもとにした物語を公募し、それをもとにMVを作る」と聞いたときはどう感じました?
もともとはスタッフが提案してくれたんですよ。僕としては『THE FIRST TAKE』で披露させてもらって、アルバム『BIPOLAR』に収録した時点で一区切り付いていたんですが、「『ちはる』はいい曲だから、もう1回、表に出して、ファン以外のリスナーにも聴いてもらおう」と言ってくれて。もちろんありがたいことだし、うれしかったですね。さっきも言いましたけど、「ちはる」の歌詞は情景描写が中心で、その背景にあるストーリーはぼんやりしてたんですよ。曲によっては自分の中で筋を決めることもあるんですが、「ちはる」は全然なくて。かなり解釈の余地がある歌詞だと思うし、それを縫うようにして物語を作ることもできるのかなと。今回の企画にも合うだろうと思ったし、あとはもう楽しみに待つだけでした(笑)。
──募集期間は2週間でしたが、951本の応募があったそうですね。
すごいですよね。季節は春だし、もしかしたら似たような方向性の作品が多いのかなと勝手に思ってたんですけど、ぜんぜんそんなことなくて。それぞれまったく違うストーリーで、「こういう解釈もあるのか」と発見があったし、何よりすべて面白かったんですよ。小説や文章のことはわからないけど、本当にすごいなと驚きました。
──「ちはる」から様々な物語が紡がれたことは、キタニさん自身にも刺激になったと。
はい。“リスナーに考えてもらう”“解釈をゆだねる”ということをずっとやってきたんですが、そのことによって、こんなに良いことがあるんだという具体例になったなと。聴く人の想像力を喚起させるというか、“余地”を残しておくことはやっぱり必要だなと改めて実感しましたね。今回のプロジェクトに応募してくれた方はもちろん、リスナーのみなさんもいろんな想像をしながら聴いてくれてるんだと思うし、人それぞれに物語があるんだろうと。作品を送ってくださった951人には本当に感謝ですね。
■僕自身、「立春の緩風」を読んだときに“これを映像化したい”と想像力を掻き立てられて
──大賞に選ばれた作品は「立春の緩風」(著・yurumo)。妻を亡くした老齢の男性が、夫婦として過ごしてきた日々を思い返すストーリーですが、この作品が選ばれた理由は?
“MVの原案にさせていただく”という前提があったので、シンプルに“映像にしたい”と思える物語を選ばせていただきました。スタッフの中にもいろいろな意見があったんですが、僕自身、「立春の緩風」を読んだときに“これを映像化したい”と想像力を掻き立てられて。小説として一等賞を選ぶという基準だったら、僕には選べなかったと思います。「ちはる」には“春の雨”や“君のいない春を歩いていくよ”という歌詞があるんですが、「立春の緩風」はそのワードもうまく取り入れていて。あと、純粋に文章がすごくうまいんですよ。僕は本当に文章が読めない人なんですが、この作品は構成もしっかりしていて、すんなり頭に入ってきて。たぶん、こういうこと(小説)をやっていかれる方なんだろうなと思います。
──MVの監督は、中澤太さん(キタニタツヤの楽曲「プラネテス」のほか、水曜日のカンパネラ、SixTONESなどのMVを手がける映像クリエイター)。キタニさんとも何度もミーティングを重ねたそうですね。
原案の小説をそのまま映像にするのはちょっと違うかなと思ってたんですよね。「立春の緩風」は読むだけで脳内に映像が呼び起こされる作品なんですが、そのままMVにするのはあまり意味がない。いろいろ話したんですが、打ち合わせでは、「この物語の手前で起きている“エピソード・ゼロ”的なものにしたい」とお伝えしました。小説では葬儀当日の様子が描かれているのですが、MVでは葬儀の前日が舞台になっていて。主人公の夫が過去を思い出す構成なんですが、ひとつの和室ですべてが展開されるんです。僕自身もあまりシチュエーションを増やしたくなかったし、でも、過去の映像は必要。「どうにかなりませんかね?」とお願いしたら、襖を使った仕掛けを作ってくれて、“やっぱり天才だな”と。
──キタニさんもアイデアを積極的に出してたんですね。
見てるだけというわけにはいかないので(笑)。「こんなことできませんか?」みたいなボンヤリしたことしか言ってないんですけどね。映像の質感についても、「昔の日本映画みたいな感じがいいです」と意見を出させてもらって。寂しさみたいなものがあって、最後にちょっと希望が感じられるようなMVにしたいという話もしました。
──完成したMVを観たときはどう思いました?
感動したし、泣いちゃいましたね。仮の編集の時点でグッと来たし、“この方向性で間違ってなかった”と。MVを観てくれた人はたぶん、“この主人公の男性はどんな気持ちなんだろう?”と気になると思うんです。そういう方にはぜひ小説を読んでほしいし、先に小説を読んだ人がこのMVを観ると、“なるほど、こういう映像になっているのか”と楽しんでくれるんじゃないかなって。まさに“エピソード・ゼロ”なんですけど、自分たちがやりたかったことがしっかり形にできたと思います。
■「聴く人の想像力を信頼していい」ということ
──楽曲、ストーリー、MVが有機的につながりながら、しかも独立した作品として成立しているのも印象的でした。キタニさん自身が、今回のプロジェクトで得たものは?
さっきも少し言いましたが、「聴く人の想像力を信頼していい」ということかな。「ちはる」の歌詞はあえて説明的な要素を抑えていて。“言い過ぎたくない”という気持ちがあったんですけど、それは間違っていなかったと思うし、このままの作風でいいと確信を得たというか。それは僕にとってはすごく感動的な出来事でしたね。
──「ちはる」という楽曲もさらに多くのリスナーに浸透し、春ソングの定番曲になりそうですね。
定着してくれたらいいですね。MVは春しか公開しないので、毎年、春になるたびに思い出してもらえたらなと。桜の蕾が膨らむ時期に、“そろそろMV公開されるかな”なんって思ってもらえたら、こんなにうれしいことはなくて。個人個人の記憶と楽曲がそんなふうに結びつくのって、すごく難しいことだと思うんですよ。楽曲の数もアーティストの数も増えているし、どうしても消費されがちな傾向があるじゃないですか。こちらとしてはもちろん、ちょっとでも長く聴いてもらいたいので。
──今回の「ちはる」のMVプロジェクトは、時間と手間がかかっていて。こうやって丁寧に曲を届けることは本当に大事だと思います。
本当にそうですよね。今は15秒くらいずつ聴いていく楽しみ方もあるけど、それとは真逆なので。応募してくれた951人の執筆時間を含めると、ものすごい時間がかかってますからね…。“こんなプロジェクトはなかなかできないだろうな”と思ってたんですが、MVが出来上がって、“もう1回やりたい”と思ってしまって。他の曲でもこのやり方でMVを作って、それをまとめたサイトができたらいいだろうなと。こんなにも深く曲について考えてもらえる機会はなかなかなないし、病みつきになりそうです(笑)。
INTERVIEW & TEXT BY 森朋之
PHOTO BY 関信行
プロフィール
キタニタツヤ
2014年頃からネット上に楽曲を公開し始め、ボカロP“こんにちは谷田さん”として活動をスタート。2017年より、高い楽曲センスが買われ作家として楽曲提供をしながらソロ活動も行う。ヨルシカのサポートメンバーとしての活動やAdo、まふまふ、TK from 凛として時雨の音源制作への参加、ジャニーズWEST、私立恵比寿中学など多くのアーティストへの楽曲提供など、ジャンルを越境し活躍を続ける。キタニタツヤ名義としても、BLEACH20周年テーマソングにて2曲書き下ろしや黒木華主演のフジテレビ系ドラマへ異例の主題歌2曲提供。2022年5月にオリジナルアルバム『BIPOLAR』を発表、10月にはTVアニメ「BLEACH 千年血戦篇」オープニング主題歌「スカー」をリリース。
キタニタツヤ OFFICIAL SITE
https://tatsuyakitani.com