「初めて人に評価されて“パカーン!”ってスイッチ入りました。じいちゃん以来、こんなに褒められたので、有頂天になっちゃった。あれは人生で本当に大きな転機でした」(西川貴教)
音楽の最深部に光を当てることで、気づかなかった魅力が輝きだす。音楽を嗜好品のように味わう、最深音楽コンテンツ『FUKA/BORI』。谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)がホストを担当し、音楽が生まれた裏側にあった物語、その音楽を生んだミュージシャンを作った音楽を、ゲストアーティスト自身が掘り下げていく、この番組。DIG 9となる1月31日公開の『FUKA/BORI』に登場したアーティストは、西川貴教。SIDE Bでは、自身の音楽の原点や影響を受けた楽曲について深掘り。
■西川貴教 音楽の原点
“音楽の原点”というテーマから始まり、「両親が共稼ぎだったので。週末とか学校終わった後は、近所に母方のじいちゃんばあちゃんが住んでたんで、そこに帰って。じいちゃんの好きだった軍歌とか浪曲とかを車で歌わされてましたね。上手いとか下手とか関係なく、大きな声で元気に歌うとじいちゃんが喜んでくれて。先生とか周りが褒めてくれるより、とにかくじいちゃんが(喜んでくれるのが)全てだったんですが。じいちゃんが小学校の高学年頃に亡くなっちゃって。でっかい心の穴が開いて。仕方なしに家で1人でラジオを聞き始めたんです」と、少年時代の思い出を懐かしそうに語った西川。
「ラジオでビルボードのTOP40とか聴くようになって、それまで聴いてた音楽とは全然、毛色の違うアーティストを知って。ヴァン・ヘイレンの「Jump」とか「Panama」とか聴いて、どんどんハードロックの方に引っ張られていって。『お前、暇そうだからボーカルやれよ』と言われて、いまから楽器買うのも大変だから『いいよ』と気軽に引き受けて。中学2年か、3年入るくらいの時に初めてバンドを組みました」と初めてバンドを結成した時の記憶を振り返ると、「当時カバーした曲で印象に残ってる曲は?」という谷中の質問に、アイアン・メイデンの「Killers」を上げる。
「とにかくギターが流行ってて、ツインギターで演りたいんですけど。まだまだ腕が無いので、出来る曲が限られてて。出来る曲の中から、選りすぐって演ってました。あとハードロックとか、ヘヴィメタルってサウンドだと、ハイノートのボーカルが重宝されて。ロニー・ジェイムス・ディオとか、クラウス・マイネとか、そういう人ってみんな小柄だったんですが。歌はそういうところから、すごい影響を受けてると思います」と、影響を受けたボーカリストについて語った西川。
「初めて人前で演奏したのは中学校の体育館、文化祭の時。『文化祭で演奏させて下さい!』って、何度も体育教官室に頭下げに行ったの思い出しますね」と初ライブのエピソードを語ると、「その後も、地元にライブハウスとか無いですから。自分たちで会場を押さえて、機材を貸してくれるPA業者さんに機材を持って来てもらって。自分たちでバンド探して、チケットノルマを作ってライブをやって…。やってることは規模感や数こそ違いますけど、『イナズマロック フェス』と変わらないです」と話して笑った。
■プロへのスイッチ
“プロへのスイッチ”というテーマでは、初めて組んだバンドの解散ライブの思い出を話すと、「初めて人に評価されて“パカーン!”ってスイッチ入りました。じいちゃん以来、こんなに褒められたので、有頂天になっちゃって。そこから、幾つかバンドを渡り歩くようになって。あれは人生で本当に大きな転機でしたね」と、しみじみ語った西川。その後、「絶対、プロになんなきゃいけない!」という強い気持ちから10代後半で大阪に出たというエピソードを明かすと、「バイトしながら大阪で知り合った子たちでバンドを組んで。ラッキーなことに組んで1年経たないくらいの時に『デビューしないか?』って話を頂いて。それにすがって、20歳の時に上京しました」と、上京に至る経緯を語った西川。
■覚悟の上京
「自分の中で勝手に決めてた、“20歳までにデビューするんだ!”って目標を達成するために、東京に来たんですが。結成して1~2年ぐらいでデビューさせてもらってるんで、期待に応えられる技術が付いてないんです。それで、“このままじゃいけない”と思って、僕の方からお願いしてバンドを脱退して。そこから2年ぐらいはアマチュアの時と同じように自分で曲作って、色んな人のところに撒いていました」と苦労話を語ると、「その時期は永遠に感じてました。“これ、終わらないんじゃないか?”と思ってたし、『よく諦めませんでしたね』と言われますけど、“何もないまま終われないから、辞めることが怖かった”というのが正直な気持ちだったと思います。“もう二度と帰るまい”と思って、その覚悟で始めたことでしたからね」と、当時の気持ちや上京時の覚悟を振り返った。
■T.M.Revolutionの始まり
“T.M.Revolutionの始まり”というテーマでは、知り合いのヘアメイクさんの紹介で、浅倉大介と運命的な出会いを果たしたエピソードを明かした西川。「偶然だけど、必然だったんですかね」と感想を述べる谷中に、「いろんなめぐり合わせがあるので。今もいただくお仕事は大小関わらず、いただく順番で『頑張ります!』でやっていて。頂いたチャンスを生かすか殺すかは自分次第だと思うと、“出し惜しみせずに全部出す”っていうのを心がけるようにしていったことが、現在に繋がってるのかなと思いますね」と、仕事に対する変わらぬ信念や姿勢を明かす。
■”可能性”の価値
“可能性の価値”というテーマで、「チャンスがあれば、色んなものに挑戦していきたいんですが。軸は音楽、ボーカリストとかシンガーとしての部分を大事にしていきたいし。これまでは日本人として、ひとつのことを貫いていく美学もあったと思うんですが。出来る人は幾つもの可能性を試してもいいんじゃないかな? と思ってて、我々ももっと積極的になってもいいのかな? と思っている」と、自身のこれからについて話した番組終盤。
「例えば、自分が地元にいた頃は何か表現したくても、そういった場所や環境がなかったんですが。だったら、そういったことを自分のやり方でサポートさせてもらえたりとか。この場所にいながら発信することも出来るんじゃないか? と思って。僕がたくさんの方にもらったものを、今度は僕が返していくようなことが出来たらいいなというのはありますね」と、あの頃の自分を重ねながら、新しい才能に力を貸したいと考えを明かした西川。
「まだ僕もガリガリ上に目指して頑張っていきたいところなので、まだまだ頑張らせていただきます!」と今後への意欲を語り、番組を締めくくった。詳しい内容はYouTubeのFUKA/BORIチャンネルをチェックして欲しい。
▼西川貴教「INVOKE-インヴォーク-」「一番光れ!-ブッチギレ-」を深掘り – SIDE A | FUKA/BORI
『FUKA/BORI』
https://www.youtube.com/playlist?list=PLi1F8vriz0_WL3yKBwFfP68Mkx7f8Y4KV
『THE FIRST TIMES』OFFICIAL YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCmm95wqa5BDKdpiXHUL1W6Q
西川貴教 OFFICIAL SITE
https://www.takanorinishikawa.com/
谷中 敦 OFFICIAL Twitter
https://twitter.com/a_yanaka