くじらが、初の自身歌唱アルバム『生活を愛せるようになるまで』をリリースする。
ボカロPとしてキャリアをスタートし、まだオリジナル曲を出す前のAdoやyamaをフィーチャリングに迎えた楽曲がスマットヒット、またSixTONESやDISH//などに楽曲提供するなど、華々しい活躍を繰り広げてきたクリエイターのくじら。今年4月からは自身の姿も公開し、シンガーソングライターとしての活動を本格的にスタートさせた。自身の生々しい感情をさらけ出した楽曲が並ぶアルバムは、まさに「自分で歌う」ことの意味と必然を持った作品だ。
なぜ自ら歌おうと思ったのか。アルバムを通してどんなことを描こうと思ったのか。じっくりと語ってもらった。
INTERVIEW & TEXT BY 柴那典
PHOTO BY 大橋祐希
■活動の幅を広げる意味合いでも、歌っていくことにしようと思った
──アルバム『生活を愛せるようになるまで』は、くじらさんの人間性、切実さと地に足のついた温かみのようなものが伝わってくる良いアルバムでした。
ありがとうございます。
──まず、顔も出して、自分の声で歌うシンガーソングライターとしての活動を本格的に始めようとなった理由というのは、どういうところにあったんでしょうか?
最初はボーカロイドで、そこからフィーチャリングや楽曲提供という形で音楽をやってきたんですけれど、その2019年から2022年の3年間の中で、YOASOBIだったりAdoちゃんだったり、先人たちが積み上げて少しずつ門を開けてきて、少しずつ自分が見てきたボーカロイドのシーンが世に大きく放たれていったと思うんです。じゃあ自分は何ができるんだろう?ということで、自分の活動の幅を広げる意味合いでも、歌っていくことにしようと思ったのがあります。そこから、いろんな方に聴いていただけるようになるために、ビジュアルを出したら、いろんな媒体に自分が出て、「こういう曲がある」「こういう人がいる」ということを自ら説明することができると思って。覚悟みたいなものもありつつ、ビジュアルを出して、自分で歌おうと思うようになっていきました。
──前の取材のときに、音楽で食べていくということを理詰めで考えていたとおっしゃっていました。ただ、収入を得るということだけだったら、作家として楽曲提供の仕事を請け負うだけでも成り立つと思うんです。でも、それだけじゃ満たされない、自分で書いた言葉を自分で歌うという欲求があったんじゃないかと思うんですけど。そのあたりについてはどうでしょうか?
やっぱり自分でずっと歌いたかったということはあります。ただ、活動を始めるときには、曲を書いて歌うだけだと音楽で食べていくには難しいかなと思って。いろいろあって自分で歌うのは断念していたところもありました。あとは、常に進化していたいというのもあります。リスナーの方にも、友達や身内の人たちにも“また面白いことやってるな”と思ってもらえるように、いろんなところに足を伸ばしていきたいと思っていて。そういう進歩していきたいという気持ちの表れなのかなと思っています。
──音楽家として幅を広げていきたいのというのがあった?
そうですね。ありました。
■“くじららしさ”というものを少しずつ広げていく
──実際、どういう幅が広がったと思いますか?
フィーチャリングや楽曲提供から曲を作っていくと、やはり相手の方のアーティスト性を考えて、それをリスナーさんがどう捉えているのかを考えて、そこから逆算して作っていくことが多いんです。アーティストさんにもリスナーさんにも喜んでいただきたいということを計算して、少しずつ枠を狭めていって、こういうやり方とかこういう形で曲を作っていきましょうという風になる。けれど、自分で曲を書いて自分で歌うとなると、その枠組みが無くなっていく。たとえば「呼吸」とか「エンドロール」とか「四月になること」は、人に提供するなら絶対に書かない曲調だったりするので。“くじららしさ”というものを少しずつ広げていくことが、このアルバムでできたんじゃないかなと思ってます。
──おっしゃるように、自分が曲を書いて自分が歌うとなると、“自分ってなんだろう?”みたいな、アイデンティティを巡る問いと向き合うようなこともあったんじゃないかと思うんですが。
“自分ってなんだろう?”みたいなことは、この20数年生きてる中で1秒たりとも思わなかったことがないです。“自分ってなんだろう?”みたいなことをずっと考えてきて、その上で音楽をやってきて、楽曲を作ったり、くじらという名前での武器を身につけて、それを中心に発信してきたりしたので。そのことをより深く考えつつも、楽曲に対しては客観性を持って、なるべく自分が自分が、という風にはならないように気をつけました。
──アルバムの『生活を愛するようになるまで』というタイトルは、どういうところから出てきた言葉なんでしょうか?
普通に生活をしていて、例えばご飯を食べたり、今日は何を着ていこうかと服を選んでいる時間に、ふと思いついた、発見した価値観になります。
──アルバムはまさに「生活を愛せるようになる」というところに辿り着くようなストーリーを描いてるような感じもしました。
そうですね。自分は、今まで出会ってきた人たちと比べて、小さいときから悩むことが多かったんです。“自分ってなんだろう?”とか“ただ生まれてきただけなのに、どうしてこんなに頑張らなきゃいけないんだ”とか。それでも死ぬ勇気はないし、でも生きていくにはお金がいるし、みたいな。それでも、小学校、中学校、高校、大学へのステップアップはわかるんです。歳をとることがすごく楽しそうなんで。でも、それが終わって、就職して40年間働くのが待っていて、それで人生が終わるのって、果たして自分に耐えられるんだろうか、きっと向いてない、無理だろうと思っていて。でも、お金を稼がなきゃいけないし、ちっぽけなプライドのようなものもある。そういうことに悩みながら、大学生活のリミットまでにどうにかしてご飯を食べていこうと思って。試行錯誤しながらこの活動を始めて、めちゃくちゃバイトして、そのバイトのお金を全部制作費にまわして、そういうことを1年以上やってきて。しばらくしたら収益が少しずつ入ってくるわけなんですけど、それまでは貯金残高が2桁の時期もあって、明日のご飯をどうしようかみたいな日々の連続だったんです。でも、この活動を始めて、いろんな人と出会えて、少しずつご飯も食べれるようになって。少しずつ生活と言われるもの、いわゆる一般的な社会に出て給料もらってできるレベルの生活みたいなものができるようになってきた。ふとしたときに、“自分は今、生活のことが好きなんじゃないだろうか”とか“そこまで辿り着いた自分自身のことを肯定できるんじゃないか”と思った瞬間があって。生きていることが好き嫌いみたいな波はあれど、“生活のことを好きかもしれない”というラインにはそれまでどう頑張っても達しなかったのに、そこにタッチした瞬間が自分の中であった。自分の生活、ひいては自分自身だったり、自分が生きてきた道をきちんと肯定できた瞬間というのは、自分の中ですごく新しいものだったんです。それをきちんと形にしたくて「生活を愛せるようになるまで」という曲を作りました。自分にとっての大きな発見だったんで、その瞬間をきちんと捉えて、言葉にして残しておきたかったんですね。あとは、自分と同じように悩んでいる人たちに、例えば「自分のことを愛せるようになるまで生きていてくれたら、それでいいよ」というゴールとして設定できるものが、ここなんじゃないだろうかと思って。それを形にしたくて「生活を愛せるようになるまで」という曲を書いて、それを軸として、その周辺でずっと考えたり、言葉にしていたものを集めたアルバムという感じになります。
──この曲が出来たときに、くじらさんの中で大事な曲、ひとつのマイルストーンみたいな曲になったという実感があった。
そうですね。まさにマイルストーンだなと思いました。
──活動を始めてからの3年間を振り返って、「生活を愛せるようになるまで」と同じように、自分にとってのマイルストーンになったと思う曲は他にありますか?
最初のアルバムの『ねむるまち』のタイトル曲の「ねむるまち」と、次のアルバムの『寝れない夜にカーテンをあけて』のタイトル曲の「寝れない夜に」がマイルストーンですね。自分にとって大きいものが発見できたときに、アルバムを作ろうという気持ちになる。そういうものを軸として、その周辺で“ずっと言いたかったことってこれかも”みたいなことを見つけたとき、新しい価値観が発見できたときにアルバムになるという感じですね。
──「寝れない夜に」は、ある種の切迫感や閉塞感もありつつ、夜明けをイメージするような曲だったと思います。その頃にくじらさんが思っていたことと今とを比べると、どうでしょう。
それこそ「寝れない夜に」があって、今があるという感じです。「寝れない夜に」が書けるまでは、ずっと希死念慮というか、死にたいという気持ちがあったんです。で、当時はコロナが流行りはじめた頃で、コロナがどういうものかも知られてない中で、高熱とすごい咳が出て、3日間くらい呼吸が苦しくて。“ああ、自分は死ぬんだ”と思ったんです。結果から言うと、全然コロナじゃなくて、喉風邪と逆流性食道炎を併発していたんですけれど。でも、本当に動けなくて、死んじゃうかもしれないとなったときに、まだやれてないことがたくさんあるし、自分は生きていたいんだと思った。そのときにできた曲が「寝れない夜に」だったんです。自分が生きていたいということを初めて確認したときの曲だったので、それがあって“前を向いて生きていくとしたら、どういうことができるだろうか?”ということをずっと考えて、このアルバムの中の曲が出来ていった。で、最終結論として「生活を愛せるようになるまで」を作ることができたという感じです。
■嘘偽りが一切ない言葉を自分の声で伝えるべきだなと思った
──なるほど。アルバムにする意味があるし、くじらさんが自分で歌うことに意味のある言葉を書いたから、自分が歌わざるを得ないということだったんですね。
例えばこれをyamaさんに歌ってもらったら、それはもう作品としてはすごく素晴らしいものになるとは思いますが、これを自分で歌うというのはすごく意味のあることだし、歌わなければいけないと思いました。嘘偽りが一切ない言葉を自分の声で伝えるべきだなと思ったので、自分で誰かに歌っていただくというよりは自分で歌おうと思いました。
──曲についても聞かせてください。まずは「エンドロール」について。今おっしゃった「生活を愛するようになるまで」というゴールラインを踏まえて聴くと、ある意味対照的な、葛藤のど真ん中の曲ですよね。
この曲は初めてしっかり怒りを怒りのままにかけた曲なのかなと思ってます。
──こういうタイプの曲はくじらさんのアウトプットとしては意外な気もしましたが、すごく切実だし血の通った表現だと思います。この曲はどういうところから出てきたんでしょうか?
この曲は書こうと思った瞬間をわりとしっかり覚えてるんですけど、新宿とかの大きな街で、浅めの関係の先輩とご飯を食べたりしていて、それが終わって、すごい無駄な時間だったと感じたんです。“わざわざこんなことをするために俺は準備をして家を出て、その時間を過ごして帰るのか”という。そういうことが連続して、みんなもしょうもないし、自分がいちばんしょうもないと思って。本当にやり場のない怒りを、新宿の大きな駅構内で、ただひたすら改札に向かって歩いてるときに感じて。で、今のこの状況が後ろからカメラで撮られていたら映画の最後のエンドロールが流れてるシーンなんだろうなとか、でも自分はこの先も生きていくわけで、エンドロールの先も人生というのはあるしなとか思って。同じように誰かに対して怒りを持ってる人たちに、一緒に「そうだよね」と言えるような、一緒になって怒れるような曲を作りたい、そういうときのテーマソングを作りたいと思って書きました。
──これができたことで自分の表現の幅が広がった感はありますか?
いつもは暗めの歌詞で明るめの曲調というのが多いですし、例えば「ひぐらし」とか「ジオラマの中で」とか暗い歌詞で暗めの曲調とかもあるんですけど、暗めの歌詞で激しい曲調というのは今までなかったので、そこでしか書けない歌詞を載せられたかなと思ってます。「ぐちゃぐちゃ、どろどろ」とか、他の曲ではなかなか言えないので、こういう形の曲でしか出せないものを出せたんじゃないかなと思います。
──「水星」はキラキラとしたダンサブルなポップチューンですが、裏側に毒もある感じもします。この曲はどういう風にできたんでしょうか?
いつもだったら、悩みを抱えている人たちに向けて、同じような悩みを抱えてる人がここにもいるよというメッセージを込めて曲を書いたり、あなたはひとりじゃないよというのが伝わったらいいなと思って書いてるんですけど。「水星」に関しては、“自分はどうしてこんなに悩みがちなんだろう”とか“どうしたらいいんだろう”みたいなことをずっと考えて、悩んでいる人に対して、もしかしたらそこはあなたのいるべき場所じゃないかもしれないし、あなたの生き方を否定する人がそこにそんなにたくさんいるのなら、全然違う場所に行っちゃってもいいんだよと、明るく背中を押せるような曲にしたいなと思って。ドカンとしたインパクトを持った曲に、メッセージ性のある歌詞を載せたいなと思って書きました。
──この曲はコーラスの面々が非常に豪華ですね。相沢さん、Adoさん、yamaさん、青虫さん、菅原圭さん、水槽さん、ちょまいよさん、NORISTRYさん。これはどういうイメージで?
これはみんなで「わーい!」ってなりたい曲だし、「水星で遊ぼうよ」って言って「そこはあなたがいるべき場所じゃないから、一回全然違うところへ行ってみようよ」みたいなメッセージを僕ひとりで歌っても、それはあんまり力にならないというか、説得力が低いなと思ったんです。その言葉に説得力を上げる手段がたくさんあると思ったので、それこそ今活躍されている、僕をここまで連れてきてくれた人たちにお声がけをして、今までやってきた人たちと一緒に歌ったら、それはもう鳥肌だし、みんなもそう思ってくれるんじゃないかなと思って。
■説得力がある人たちを集めて
──Adoさんやyamaさんのように声にめちゃめちゃ記名性のある人たちをフィーチャリングしながら、あえて全員の声を一緒に使うことでそれとは気付かせない使い方になっているのも特徴だと思います。
すごい贅沢ですよね。でも、たとえば自分がひとつのことを思いついたとして、それに説得力を持たせるためにはすごい時間がかかるし、自分が好きなアーティストが自分と同じ意見だったら、それはすごく自信になると思うので。この中のひとりでも好きな人がいてくれる人がいれば、“それでいいのかも”と思ってくれるんじゃないかなと。仲のいい人、お世話になった人と一緒にやりたいということもありつつ、説得力がある人たちを集めてやりました。
──水槽さんは、アルバム全編に渡ってコーラスで参加していますよね。たとえば「四月になること」などいくつかの曲では単なるコーラスというよりデュエットのようにもなっています。この起用にはどういう意図があったんでしょうか?
水槽がくじらという活動を始めていちばん初めにできた友達で、ずっと仲良いんです。シンプルにふたりで「歌ってみた」をやることもあったりして。水槽のコーラスワークが好きだし、彼女もコーラスワークをするのが好きだし、あとシンプルに声の相性がいいというのもあって、毎回お願いしてますね。水槽にお願いしつつ返ってきたものを聴いて自分で追加したりいます。「四月になること」は、彼女は表現力が本当にすごくあるので、水槽と一緒に歌ったら、自分の歌唱力における表現力のステータスの部分をぐんと上げてくれる。一緒に歌うことで作品としてのクオリティが格段に上がるので毎回お願いしてますね。
──「四月になること」は単なるコーラスというより、男女ふたりのメロディーラインがあることで、春と別れというテーマと結びついてるような感じがしました。
そうですね。コーラスというよりデュエットの感じでいいよと思ってお願いしたので、まさにおっしゃる通りだと思います。
■歌い上げられるような曲を目指して書いたところがある
──「四月になること」は、どんなイメージから作りましたか?
ピアノと歌だけでできるバラードの曲がひとつあったらいいなと思っていて。この曲のメロディや歌詞が思い浮かんだタイミングで、情景も思い浮かびやすいので“これだ!”と思って形にしました。これまで歌い上げるような曲が「寝れない夜に」ぐらいしかなかったので、このアルバムでは、「四月になること」だったり、「悪者」や「呼吸」や「生活を愛せるようになるまで」だったり、歌い上げられるような曲を目指して書いたところがあります。
──「呼吸」もこのアルバムの中でも大事なポジションにある曲だと思うんですが、これはどういうところからスタートしたんでしょうか?
「悪者」の続きというか、楽曲性としては「悪者」に近いのかなと思っていて。アコースティックギターは弾いていただいたんですけど、「悪者」と違って編曲は全部自分でやったので、こういう楽曲もくじららしさのひとつとして認めてもらえればいいなと思いつつ、パワーボーカルとしても認めてもらえるんじゃないかなと思いながら書きました。
──ボーカルの表現力が「悪者」からぐんぐん出てきていると思うんですが、ご自身では歌を歌うようになっての変化についてはどう感じていますか?
歌を歌うようになって、自分が歌うんだったらこういうメロディなら歌いやすいというのは見つけつつ、他の人の歌唱を聞いて“この人、もともと歌うまいと思ってたけど、歌うまいとかのレベルじゃないんだ”というのを発見したり。いろいろ発見できることが多くなったりしました。あとは、それこそ水槽とか、もともと友達として歌うまいなと思ってたんですけど、自分でやろうとすると階段の幅の大きさに気付くというか。そういうのもありつつ、「悪者」のときよりはうまくなってるんじゃないかなと思います。
──周りにいる人のレベルが高いから、ハードルの基準はとても高くなっていると思わざるを得ないです。
そうですね。例えば仲良いボーカリストの代表としてはyamaさんが挙げられると思うんですけど、歌唱はもちろん本当に素晴らしいので、その域まで行かないとみんなに聴いてもらえないと思っていて。厳しい道程だなとは思いつつ、そこが基準になっているというのはいいことなのかなと思います。
■本当に自分自身みたいだなと思う
──アルバムのいろんな曲を聴いてると、たとえば「悪者」と「呼吸」が“親密な逸脱”という共通したモチーフを持っていたり、「エンドロール」と「薄青とキッチン」にも怒りや鬱屈とした気持ちがあったり、「抱きしめたいほど美しい日々に」と「生活を愛せるようになるまで」にも共通する感情が歌われていたり、それぞれの曲がいろんなところで結びつきながらアルバムが構成されているようにも思います。そのあたりのイメージはどうでしょうか。
アルバムを作り終わって、このアルバムについて話していくうちに思ったことなんですけど、全体を見たときに、怒りがちょっとあって、鬱屈としたものが多くて、でもたまにはアッパーなところもあって、ちょっとロマンチストなところもあって、最終的にはいろいろ考えているというのは、本当に自分自身みたいだなと思います。日頃の出てくる感情の割合、こういうスタンスで生きていたり、こういう考えが出てくるタイミングとか、量の多さとかの比を考えると、本当にこんな感じなんです。自分の人格のような、くじらという人間そのままのアルバムになっているんだなと思いました。
──これは結果論ですね。
そうですね。終わってみて気づきましたね。
──デビューアルバムって、そういうものだなと思います。もちろん狙いとかコンセプトもありつつ、最終的には自分でしかありえないものになるという。
そうですね。書きたい曲のクオリティは担保しつつ、アルバムジャケットだったり、いろんな人に聴いていただけるような努力は怠らず、これからも長い時間やっていきたいなと思います。
──ちなみに、ライブをやるつもりもありますか?
はい、やります。
──これ、やりますよね。“きっとライブやるよな、このアルバム”と思いました。
“ライブやるよな”と思いながら作りました(笑)。“自分で歌ったアルバムを作ったら、ライブもやるだろう”と。今までの曲ってパソコンの中で製品として完成するように組み立てていったので、弾き語りではあんまり迫力がなかったんですけど、「4月になること」とか「呼吸」とかは弾き語りでもできるメロディの強さもあるので。べつに弾き語りライブをしたいというわけじゃないですけど、ライブはやりたいですね。
──例えば「水星」なんかも、まさにライブに似合う曲だと思って聴いてました。
ライブでもやりたいし、将来的にはでっかいフェスとかでやりたいですね。しかも、バンってやるときに、一緒に歌ってくれるのがこのメンツですからね。
──これはじゃあ具体的な計画はないけど、やるという心づもりはある、と。
年内にはやると思います。
──そこから得られるフィードバックもたくさんありそうですね。
はい、とっても楽しみです。
リリース情報
2022.08.17 ON SALE
アルバム『生活を愛せるようになるまで』
プロフィール
くじら
2019年4月1日に活動を開始。作詞作曲編曲全てをくじら自身でこなしVOCALOIDを使った作品や、yamaやAdoなどのボーカルfeat.作品、また楽曲提供など精力的に作品を世に出し続けている。2019年7月VOCALOIDアルバム「ねむるまち」を発表。2020年10月には、feat.とVOCALOIDを主としたアルバム「寝れない夜にカーテンをあけて」を発表。活動歴たった2年にも関わらず、圧倒的な実績を積み重ねる「くじら」。新世代クリエイターとして音楽シーンの高い注目を集めている。
くじら OFFICIAL SITE
https://www.whaledontsleep.tokyo