TEXT BY 永堀アツオ
■たかはしほのかの何かがガラッと変わったという衝撃を受けた
少女が大人の女性になる心情がどんなものかは男性である筆者は想像しかできないが、リーガルリリーのデジタルEP『恋と戦争』を聴いて、全曲のソングライティングを務めるギター&ヴォーカルのたかはしほのかの何かがガラッと変わったという衝撃を受けた。本人にはまだ自覚はないかもしれないが、歌詞の世界観が決定的に違っているのだ。
2022年2月23日から現在まで続くロシアのウクライナ侵攻を受けたリーガルリリーであれば、“戦争”をテーマに歌うのは当然だという向きがあることもわかる。たしかに、米軍の横田基地がある福生の近く出身である彼女が書く歌詞には、昔から戦争を連想させるワードが多かった。学生服を手に持った母親が“戦争が見えた夜空の楽園”に腕を伸ばす「うつくしいひと」。“9mmパラベラム”の引き金を白い手首で引いた「overture」。“戦前の兵隊さん”が登場し、F-16の“戦闘機”が飛び交う「ハナヒカリ」。ナチスの“黄金列車”を想起させる「GOLD TRAIN」。“催涙弾”で涙を流す「1997」。“爆心地”からの避難訓練の経路を計算する「そらめカナ」。“照明弾”を闇に撃ち放つ「東京」。隣り同士の国の境界線で“爆発”のメロディが響く「9mmの花」。“爆撃”が耳をつんざく「アルケミラ」。…と、枚挙にいとまがない。
戦争には反対で、平和の中でロックンロールを鳴らしたいというのは誰もが思うことで、言うまでもないが、あえてトピカルに、声高に反戦を歌っていたわけではない。あくまでも、たかはしほのかの脳内にいる“君”と“僕”、“心”と“体”の戦争のように激しい戦いを寓話的に表現していると思っていた。もしくは、“自我”と“自己”の対立を男女が抱えるジレンマに置き換えたラブソングを歌っていると感じていた。大袈裟に言うなれば、リーガルリリーの楽曲の中に登場する主人公は、これまでは常にひとりだった。私たちリスナーは、彼女が心の中に広がる暗い暗い海の底に潜り、煌めく光が差した一瞬を掴み取って物語に昇華した苦労の軌跡を追体験することで、共感したり、感動したり、解放されたり、励まされたり、生きる勇気を与えてもらったりしてきたのだ。
しかし、2022年1月にリリースされた2ndアルバム『Cとし生けるもの』の収録されていた「セイントアンガー」から少し変化の兆しが見えていた。この楽曲の中には、“君”と“僕”だけでなく、少年少女やホームレスのおじさんや野球選手を含む“みんな”がおり、“僕ら”はやがて“私”と“あなた”という人称に変わっている。
■残酷で理不尽な現実に肌身を晒していく決意を表明
そして、アルバムから約半年ぶりとなるデジタルEPである。20代前半の若者であれば、『恋と青春』を歌ってもいいし、バンドマンなら『恋と音楽』でもいい。しかし、リーガルリリーは全4曲入りのデジタルEPに『恋と戦争』という冠をつけた。“2022年春、わたしの目の前にあったのは恋と戦争。今もわたしのこころをとらえたままだ。”というキャッチコピーもついている。想念から現実へ。“戦争”が脳内でなく、目の前に立ち現れてしまったのだ。僕たちは20代女子が「ノーワー」を歌う世界で生きているのだ。「ノーワー」では、反戦(ノーワー)を掲げることすら対立や不和(フーワー)が始まってしまうという皮肉を描きつつ、飲み込めないほどの残酷で理不尽な現実に肌身を晒していく決意を表明している。そこに渦巻く無力感や戸惑い、不安感がキャッチーなメロディと強靭なグルーヴに転化されて、一度聴いたら忘れられないほどの濃密なエネルギーの跡を脳裏に焼き付ける。たかはしの歌声が無垢で純粋であればあるほど、擦り切れていく人たちのやりきれなさと虚しさは激しいバンドサウンドによるラウドな音像から浮かび上がっていく。“君は全てを体に入れてトイレで吐いた”から始まる物語は、カメラ視点の三人称で書かれており、語り手の人称は出てこないが、おそらくもう一人の自分である“僕”だろう。
■戦争が起きているという現実がたかはしを大人にした
続く、「明日戦争がおきるなら」は、“君”と“僕”が別れを後悔する失恋ソングとしても聴けるが、連作として聴くと、自分の一部との突然の別離のようにも感じる。“沈黙は口を閉じて出た言葉”という印象的なフレーズが繰り返されるが、男性であれば、自分の意思とは無関係に訪れた声変わりの時期を思い出したりするんじゃないかと思う。急に昨日までの声が出なくなり、全く新しい声に変わった瞬間。ハイトーンも高らかに響く、この楽曲の中では、子供の“僕”は取り残され、大人の“君”とは離れ離れになってしまっている。そして、「地球でつかまえて」では、幼少期を連想させる“昆虫図鑑”や“鳥類図鑑”を手放し、“君”ではなく“あなた”を探して、“言うこと聞かない口”で泣きじゃくる主人公の人称は、いつの間にか“僕”から“わたし”へと変わっている。今後は“あなた”と“わたし”の物語が中心になっていくのかどうかは、次回作を待つまでは断言できないが、戦争が起きているという現実がたかはしを大人にしたことは間違いないのではないだろうか。
■これまでとは全く違う扉を開いて、外へ出ていく
「ノーワー」のミュージックビデオは、少しコミカルでチャーミングなコマ送りで撮影されている。たかはしは大量の食べ物に加えて、花や書籍、レコードまで口にしては吐き出していく。「ノーワー」の“君”は食べ残すことを許せないと憤っているが、これは「リッケンバッカー」の“きみはおんがくを中途半端に食べ残す。”に対するアンサーで、大人への成長を表しているのかもしれない。MVでたかはしが開く口は、二度と戻ってこない“僕”に思いを巡らせながらも、残された空洞の深さに戸惑うように黒く、暗い。そして、何度も同じ扉を開いて、出たり入ったりを繰り返していた彼女は、最後に微笑みを浮かべ、これまでとは全く違う扉を開いて、外へ出ていく。スピッツ「ジュテーム?」のカバーでカレーライスを食べて次はどこへ?
リリース情報
2022.08.10 ON SALE
DIGITAL EP『恋と戦争』
ライブ情報
リーガルリリー『cell,core 2022』
11/9(水) 名古屋ボトムライン w/羊文学
11/15(火) 大阪BIGCAT w/My Hair is Bad
11/17(木) Zepp Haneda w/くるり
リーガルリリー OFFICIAL SITE
https://www.office-augusta.com/regallily/